「お帰り、モネ」。
NHKの朝ドラで、五月から「お帰り、モネ」が放映されている。
気仙沼沖に浮かぶ「島」出身のモネが、高校を卒業し、島を出て、県内の登米の森林組合に就職しながら、
まだ、将来、何になりたいか判らず悶々としながら、気象予報士に自分の生きる道を見つけ、やがて、予報士になり、その角度から、生まれ育った島に貢献する、という物語のようだ。
今日まではまだ、登米の人々と触れ合いながら、少しずつ、気象予報士に気持ちが向きはじめている、というところだろうか。
私は気仙沼沖に浮かぶ唯一の有人島である「大島」で生まれ育ち、今に到るので、ドラマの舞台になると知ったときはとても嬉しく、しかし、何故、気仙沼沖のある島出身としか前宣伝はなく、何故、「大島」とはっきり定めないのだろう? と不思議でならなかった。
そしてドラマが始まり、「亀島」となっていたことに愕き、そして、愕然とした。
気仙沼や登米はそのままの呼称なのに、何故、大島が亀島なのか?
フェリーの映像もあったが、それにも「気仙沼ー亀島ライン」と書き換えられ、あらゆるところに亀島が出てきている。
その朝ドラを観ている人たちが番組について書き込む場があり、そこに上記と同じ疑問を書き込んだところ、「それは架空の場所」に設定しているからだよ」と書き込んでくれた人がいたけれど、多少、物語に携わっている私としては、これがもろにエンタメで架空の場所設定なら、他も架空名称にするのではないだろうか、と思わざるを得なかった。
直木賞作家である、熊谷達也氏が、数冊、あの大津波後に気仙沼を舞台にした小説を書き、単行本として出しているので興味を抱き読ませていたただいたけれど、そこには実の名はまったくなく、気仙沼も大島も他の名に置き換えられていた。
こうなら腑に落ちるのだけれど、どうも、生まれ育った島だけが「亀島」と表現されていることについては、「?」と頭を捻ってしまう。
このことについては、島在住の人々よりも、島を離れて他県に棲んでいる人たちのほうが怒っているようで、ある知人は電話で、「何故、大島が亀島などとふざけた名前になっているんだ!」と、まるで私が脚本家か演出家でもあるように憤慨し、怒鳴っていた。
全体としては、少々、運びがゆったりとし過ぎているが、いい映像だと思う。景色も色もよく撮れている。山のことは知らないが、島の風習もちりばめられていて、昔、されていたことを思い出したりして、実に味わい深いのだけれど、島民である一個人としては、他は実名であるならば、大島ははっきりと大島と設定して欲しかった。
これまでの朝ドラも設定上、架空の名をつけられた場所が殆どなのかも知れない。何か事情があるのだろうが、島内に「亀山」があるからって、安易に「亀島」では、大島愛がある島民の一人としては、いささか、いや、かなり、残念でならない。
それにしても、俳優陣の豪華さには魂消ている。藤竜也? の爺様ぶりは秀逸すぎる。島にはあんな爺様たちがゴロゴロいる。私もその中の一人ではあるが。