小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

餓え。

書くことに餓えている。オファがなくなってからだいふ゛経つ。

初心にかえり、官能物に応募を考えるかな?

それにしてもみんなは凄い。それだけファンがいて、求められている、ということなのだろう。支持され続けるってのは至難の業。私二してみれば、それだけで尊敬に値する。

小説。

 最近、出来るだけ本を読もう、と様々な本に接しているが、若いころに増して、根気がなくなり、読んでいるとすぐに眠くなる。

 唯、読むのは苦痛ではあるが、書くことはそんなに苦しくはない。官能はだいぶ長い時間書いてはいないが、書こうと思えば、今すぐにでも、一か月もあれば一冊分ぐらいはいける。

 とはいっても買ってくれるところがなければそれは無意味なので、これもまた、意味があるかないのかは判らないが、一般小説を書いている。

 出発は一般小説だった。いきなり、二十三回の北日本文学賞選奨を獲ったので、一般小説には愛着がある。北日本は四十二回でも選奨だった。最初の選者は井上靖さん、二度目が宮本輝さんだった。

 その他に、今は廃刊になっているが、「小説club」という小説雑誌があった。新人賞で最終候補に残った。ちょうど、最初の北日本選奨と同時期のこと。

 結局は最終どまりだったが、編集の人に出版社に呼ばれた。たしか、桃園書房だったと記憶している。

 編集の偉い人との面会で、「惜しい。詩的する箇所を描き直してもらえば、受賞ではなくても、原稿料で掲載する」と言われた。

 そこで「お願いします」と言えば、その後の書き手としての将来は違っていたかも知れない。だが、まだ若く、血気盛んだった。怖いものなどなかった。

「いいえ、有難いのですが、来年、新しいのを書いて、受賞してデビューします」

そう言い放ち、話は物別れに終わった。相手はバカな奴だと思ったことだろう。

果たして、翌年、同じ賞に応募したものの、一次にさえひっかからなかった。以降、ずっと同じ。

この賞を獲った作家に今でも活躍している人はむろんいる。あのとき、編集人の意見を聞き入れ、掲載してもらったところで、まだ残っているかどうかは判らないが、少なくとも、多少は書き続けていられたのではないだろうか。

 最近、あのときの失敗を思い、冷静ではなかったあのころを悔しがっている。

今年ももうすぐ終わる。

 早いねぇ。

ついこの間、注連縄を外した感じなのに、もう新年の注連飾りをする時期が近づいてきた。ある年齢に達すると、時間の速度が唖然とするほどに早く感じられてならない。

 

 昨年もそうだけれど、今年は昨年以上のぐ~たら生活で些かうんざりしている。

振り返るまでもなく、昨年の八月以降、新作がない。

 そんなにガツガツと出したいとは思わないけれど、お呼びがないってことは売れないってことだから、その意味では少し寂しいね。

 これまで官能の文庫本としては三十冊丁度。凄まじい数の本を刊行している人に比べれば呆れるほどに少ないが、でも、自分の力を思えば、よくも三十冊刊行出来たものと思わないでもない。

 ま、いまのところ何とか食ってはいけるので、筆を折るわけではないが、焦らず、いつ依頼が来ても慌てないように、スタンバイだけはしておこうと思いながら、今日も怠惰に、喰い過ぎた腹を擦りながら、何度となくあくびを繰り返している、昨今なのです。

 

総裁選。

コロナ化禍の中、いよいよ自民党の総裁選が火ぶたを切りましたね。

明日が候補者の締め切り日らしい。

 まだ決まっていない野田聖子さんはともかく、一応、

 

 1、河野太郎

 2、岸田文雄

 3、高市早苗

 の顔ぶれが決まったようです。

 テレビの予想屋たちの言によると、一発勝負なら河野太郎、誰も過半数に届かないようだと、河野と岸田の一騎打ちで、

その場合、高市を一発目で支持した人たちと、決選投票で派閥力学が発揮されて、最初は河野に投じたものの、改めての派閥の締め付けにより屈した、情けない議員たちの票が、岸田に流れ、河野が敗北するのではないか、との見通しがあるようですね。

 魑魅魍魎ですよね。

「党風一新の会」でしたっけ。あの集まりは私から言わせれば虫のいい人たちとしか思えません。彼らの主張は「総裁選は吾人の自由な投票」を訴えています。とてもいい主張ではあるけれど、それはやはり、おかしい。

 総裁選が終わり、今度は総選挙。そうなると派閥に戻り、派閥の恩恵を受けようとする。

 九十人の当選三回までの議員たちです。どんなに立派なことを言っても、所詮は自分の選挙のことしか考えていない。

 自由な選挙を口走るのなら、九十人全員が派を出て、無所属になってから行動すべきでしょう。そして、

「我々は総裁選で派閥に逆らい、自主投票しました。我々は政治改革に向かって走り出したのです」と有権者に訴えて当選を目指せばいいのに、いまのところそんな兆候は見られず、総裁選が終われば何食わぬ顔で派閥に戻っていくのでしょう。

 いや、せっかく、九十人も集まったのだから、誰がその中で力のある人が中心となり、逆手をとって、自分たちが新しい派閥をつくったならどうでしょう。そうすると、九十人は自民党の中でも最大派閥になることだし。

 

 それはともかく、石破センセイ、うまいことやりましたね。あの人の何を言っているのか判らないような姿勢では、個人では絶対に浮上することは出来ないと思うけれど、今回はうまい具合に河野のほうからお声がけがあった。内心は渡りに船と喜色満面なのに、鷹揚に、「判りました。熟考の上、そなたを応援するので、今後はよしなに」と顔には出さず、「ムフッ」とほほ笑んでいるんだと思いますよ。

 

 それにしても、総裁選の顔ぶれがほぼ揃ってからの、メディアの偏向報道には心底感心しています。

毎日、それも最も長く顔を映し、時間を割いているのが河野太郎。次に岸田。そしてまるで泡沫候補のような扱いでの高市早苗。しかも、高市のはネガティブキャンペーンのような感じ。

 

 かく言う私は主張を聞くかぎりにおいて、高市を支持します。もっとも党員ではないので私が支持したところで屁の突っ張りにもなりませんが、少なくとも、主義主張が一貫しているところがいい。

 地上波のテレビアンケートでは不思議なほどに支持率は低いですが、ネットでは圧倒的に高市支持が多いのだとか。河野や岸田が二十パーセント台に対し、高市は六十パーセント近くになるそうですよ。

 自民党も党員ばかりではなく、総選挙ともなれば、それ以外の票もアテにしなければならないのだから、こうしたネットの声も拾い上げて、分析する必要があるのではないでしょうか。

 

 メディアの対応のことに触れましたが、お昼の坂上のゲストへの対応には呆れるを通り越し、ムカッとしましたね。高市がゲストのとき、台に両肘をつき、腰を曲げて、両足を交差させるような姿勢で悪乗りしていましたね。こいつ、何様なんだ!? と思わずつぶやいてしまいました。あんなの、誰が注意出来ないんですかね。それとも、泡沫扱いで、彼女をナメているんでしょうか。

 

 そんなこんなに思いをはせる昨今です。

 

 あ、私は右でも左でも、よければその都度自分なりに判断しています。でも最近は、左には感心させられることが何もない。そう思う人って多いのではないでしょうか。だから、あんなにも自民党が体たらくでも、野党の支持率が上がるどころか下がっているのではないでしょうか。

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退屈、というか、無気力なこの頃。

 ずっと、コロナに振り回されているような感じ。

二回、ワクチン接種してもそれは安全安心ではなく、単なる気休めのような気がして、コロナに感染していなくても、無気力感、倦怠感が半端じゃない。

 

 もう、二年も上京していない。ド田舎に棲んでいると、たまには煌びやかな街並みを歩きたいものだが、今は県跨ぎさえ自粛を求められていて、ホント、気が滅入る。

 

 テレビもコロナと政局ばかり。唯一愉しみの大リーグの大谷も、最近打のほうは底に落ちていて、途中で観るのをやめる。

たまにホームランは出るが、変化球ばかりだ。今日の試合でも、中速球のど真ん中さえ2球続けてかすりもしない空振り。今の大谷を観ていても打てる気がしない。

 それに、メジャーのバッターが主審の判定にクレームをつける場面は滅多に観たことがないが、たとえ、それがボールだとしても大谷はそれへの不満を露わにし過ぎる。これでは相手チームだけではなく、審判も敵にしているようなものだろう。

 プロなのだから、際どい球なら見送り三振をするのではなく、振ってファールにするべきだろうと思う。所謂。カットは名選手と呼ばれるには絶対に必要なスキルだと素人ながら思う。

 大谷の大ファンなのだが、ホームラン43本打っていても、打率が2割5分ではあきらかに物足りない。かつての広岡監督なら、代打にしか使わないのではないだろうか。

選球眼がいいと言われているけれど、今日のようにどっちにとられても仕方がないような微妙な外側に手を出さず、あきらかに外れている外へのボールやワンバウンドする低めのボールに空振りして打率を落としているのを観れば、どうも選球眼がいいようには思えない。

 素人目にもあきらかにどん底状態。だけど、ピッチャーとしては素晴らしいね。「あれっ? 何か投げ方が変わったかな」とかなり前に思っていたけど、専門家が言うには、テークバックを小さくしたことで、コントロールがよくなり、それが今の結果を残していると言っていたのを聞き、納得した。それが私の眼にもこじんまりした投げ方に変わったように見えたのだろう。

 願わくば、もとのようなダイナミック投法のままコントロールもよくし、バッタバッタと三振の山を築いてほしいが、メジャーではそれは難しいのだろうね。

 あと残り25試合ぐらいだろうか。ホームランは50本は無理かな。今93の打点は105ぐらいまでのびないだろうか。打率はせめて、2割7分ぐらいまではあげてほしい。そして盗塁は30。もしこのすべてがタイトルに届かなくても、上記の成績なら、押しも押されもしない、一流のメジャーリーガーだと思う。

 よくベーブルースと比較されるが、それはナンセンス。昔は白人だけのチーム構成であり、160キロの球を投げるピッチャーはいなかったらしいし、グラウンドも石ころが転がっていたとか。そんな時代の人と比べることに何の意味があるのか判らない。

 

 さて、政局はどうなるのだろう。哀しいのは、どんなに与党の評価が落ちようと、それなら、と投票したくなる野党が存在しないことにある。アメリカも何が何だかわからない国ではあるけれど、それでも二大政党がしっかりと機能している。日本も一方が駄目なら、次はもう一方を選べる選択肢があるといいな、と思う。

 ところが我が国の野党は悪口ばかりで投票したくなるような人がいない。今度の件でも言っていることに整合性がない。矛盾しか見えない。

「菅はやめるべきだ。この政権はどうしようもない」と非難していながら、いざ菅が出馬しないとなると、「こんなときに政権を逃げ出すなととんでもない」と叫ぶ。

ま、いいか。それが現実なのだから。

それにしても、自民党は強かだね。菅の不出馬で様々な顔が出馬を仄めかすことにより、完全にテレビジャック出来て、野党がしゃしゃり出る場を取り上げてしまった。これで底近くまで落ちていた支持率も、だいぶ回復し、下げ幅もほんの少しで済むのではないだろうか。

 

 それにしても、退屈な日々が続く。

コンビニの本棚。

 この前はいつだったか、忘れるほどに小説を書いていないが、数日前、コンビニに立ち寄り、週刊誌を買おうとしてびっくりした。

 昨年の八月? に出た官能物の拙作が並んでいたからだ。

 驚きながらも、何故? と考えてみた。そして結論に到った。

 おそらく、在庫がかなりあったからに違いない。

 処分に困り、「コンビニでも出してみるか。倉庫に置くよりいいだろう」

 そんなこんなでの経緯だったのだろう、と推測し、何か、版元には申し訳ない気持ちになって、苦笑するしかなかった。

 他の官能物もあり、四冊ずつ並んでいるのに、私のは二冊。

 同数回って来たのだろう、と思えば二冊は売れたことになる。

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 ま、そんなことはどうでも、一年前の自著がコンビニに並んでいることに、年甲斐もなく久しぶりに感激した。

「お帰り、モネ」。

 NHKの朝ドラで、五月から「お帰り、モネ」が放映されている。

気仙沼沖に浮かぶ「島」出身のモネが、高校を卒業し、島を出て、県内の登米森林組合に就職しながら、

まだ、将来、何になりたいか判らず悶々としながら、気象予報士に自分の生きる道を見つけ、やがて、予報士になり、その角度から、生まれ育った島に貢献する、という物語のようだ。

 今日まではまだ、登米の人々と触れ合いながら、少しずつ、気象予報士に気持ちが向きはじめている、というところだろうか。

 私は気仙沼沖に浮かぶ唯一の有人島である「大島」で生まれ育ち、今に到るので、ドラマの舞台になると知ったときはとても嬉しく、しかし、何故、気仙沼沖のある島出身としか前宣伝はなく、何故、「大島」とはっきり定めないのだろう? と不思議でならなかった。

 そしてドラマが始まり、「亀島」となっていたことに愕き、そして、愕然とした。

 気仙沼登米はそのままの呼称なのに、何故、大島が亀島なのか?

 フェリーの映像もあったが、それにも「気仙沼ー亀島ライン」と書き換えられ、あらゆるところに亀島が出てきている。

 その朝ドラを観ている人たちが番組について書き込む場があり、そこに上記と同じ疑問を書き込んだところ、「それは架空の場所」に設定しているからだよ」と書き込んでくれた人がいたけれど、多少、物語に携わっている私としては、これがもろにエンタメで架空の場所設定なら、他も架空名称にするのではないだろうか、と思わざるを得なかった。

 直木賞作家である、熊谷達也氏が、数冊、あの大津波後に気仙沼を舞台にした小説を書き、単行本として出しているので興味を抱き読ませていたただいたけれど、そこには実の名はまったくなく、気仙沼も大島も他の名に置き換えられていた。

 こうなら腑に落ちるのだけれど、どうも、生まれ育った島だけが「亀島」と表現されていることについては、「?」と頭を捻ってしまう。

 

 このことについては、島在住の人々よりも、島を離れて他県に棲んでいる人たちのほうが怒っているようで、ある知人は電話で、「何故、大島が亀島などとふざけた名前になっているんだ!」と、まるで私が脚本家か演出家でもあるように憤慨し、怒鳴っていた。

 全体としては、少々、運びがゆったりとし過ぎているが、いい映像だと思う。景色も色もよく撮れている。山のことは知らないが、島の風習もちりばめられていて、昔、されていたことを思い出したりして、実に味わい深いのだけれど、島民である一個人としては、他は実名であるならば、大島ははっきりと大島と設定して欲しかった。

 これまでの朝ドラも設定上、架空の名をつけられた場所が殆どなのかも知れない。何か事情があるのだろうが、島内に「亀山」があるからって、安易に「亀島」では、大島愛がある島民の一人としては、いささか、いや、かなり、残念でならない。

 

 それにしても、俳優陣の豪華さには魂消ている。藤竜也? の爺様ぶりは秀逸すぎる。島にはあんな爺様たちがゴロゴロいる。私もその中の一人ではあるが。