小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

みなさん、よいお年を。

今年も何となく終わった、という感じの一年だった。

 来年もどうなるのか。

田舎に燻っていると、時間が止まっているようで、世の中の移ろいに疎くなる。

 来年はもっともっと、都会に出て、様々な世相を見聞きしなければいけないかな、と思いつつある。

 まだ今年は明日を残していますが、この場を訪れていただいた方々にお礼を申し上げます。たまにしか書き込みもしないのに係わらず、顔を出していただき、ありがとうございます。

 来年も相変わらず、本もここも書いたり書かなかったりと、気ままに過ごしていくことと思いますが、それに懲りることなく、たまにはぐ~たらぶりを覗きに来てもらえればと願っております。

 本年中はありがとうございました。新年もよろしくお願い致します。

                            小鳥遊葵。

近況。

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早いね。

もう少しで今年も終わり。猫などの動物は、人の7、8倍のスピードで一日を過ごしているって聞くけど、最近は私の感覚も動物並みで、一日が消えていくスピードの速さに愕きっ放しでいる。

正月を迎えるってことで、今日も掃除でもしようと思って目覚めるも、何か気が乗らず、午前中は何もしないで終わりそう。

家が築五十年ぐらいになるので、掃除したところでそんなに変化が見られないってことも、気が乗らない理由かも。

 

 最近は町に出かけては、正月中に読む本を買い漁っている。とはいっても大した量ではないが、週刊誌でも何でも正月中は出ないから、買ってもまだ読まないで積んどく状態。

 

 今年は振り返ってみるまでもなく、殆ど、いいことはなかった。何か、歳を重ねるごとにいいことって遠ざかっていくような気がするね。

 田舎に燻っているってのはよくないのかも。来年の二月には二日間、会合があり、上京する予定なので、いまのところ、それが愉しみ。毎回、忙しない日程ではあるけれど、あの人ごみの中を歩いたり、人と会うことで興味深い話が聴けるので、失われた体内の細胞が蘇生するような気持ちにもなる。

 

 話は違うけれど、最近、地震が多いね。あちこちで、毎日のように揺れている。どこに棲もうと、安全なところなどないし、どこで何が勃っても、他人事ではない。3・11を体験しているだけに、最近の地震の多さが気になります。

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だいぶ更新していないのに、毎日十数人はこのブログを覗いてくれる。

ありがたいことだ。

FBにはけっこう書いているが、こっちはつい忘れがちになる。

 

 それにしても、時間の速さには愕かされる。十二月に入ってすでに二日が過ぎ去った。もう少しで正月。

 先月までと何ら変わらないはずなのに、どうも師走は気忙しい。そろそろ、正月用のお飾りも買い揃えなければならない。油断しているとすぐに売り切れになる。

 年賀状も書かなければならない。今はもう、メールや何だとハガキによる賀状は廃れはじめているようだが、昭和生まれとしては、今年世話になった人にはきちんと年賀状を出さなければ、と毎年思う。

 その年賀状も名前は三種類となる。

 まずは「小鳥遊葵」。それに過去に同人などで世話になった人には「十八鳴浜鷗」。

そして、本名。今日は雨だったので、それらを確認をしていた。

 それと手作りの状差し造り。ホーマックなど廻ってみても、今は状差しなんて見当たらないね。やはり、メールなどで済ましてしまうからだろうか。

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 さて、これから少し宛名と本文を書きましょう。

明日になって天気がいいと、じっとしていられなくて出かけてしまうので、思い立った時にしないと、いつまでも終わらないからね。

 そんなこんなで、今日もさっさと時間が過ぎ去ります。

近況。

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 商売に於いての恩師がなくなり、少しでも恩返しになればと思い、人手不足の昨今、頼まれてホテル内にあるレストランを今月から手伝っている。

 むろん、亡くなった師が経営していた関連施設だ。ずっと続けてほしい、とは言われているが、ローテーションに嵌め込んでの手伝いは今月だけで、来月からは土日に限り、出勤することにした。

 この仕事、どんなにキャリアがあっても、はじめての仕事場に行けば一からとなる。それは長い年月をかけてつくり上げたところに入り、その形になれるまで多少の日数を必要とするからだ。

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 しかしそれも、数日で馴れた。もっとも献立の内容を把握すれば、あとは手早さだけを自分に課すだけなので、そんなに悩むこともない。

 唯、きついのは通勤。片道五十キロ弱ある。たまにならいいが、往復での毎日百キロはさすがに応える。三陸道を利用しているが、これからは雪やアイスバーンになることを思うと、それだけで億劫になる。

 

 話は変わるが、今日、帰宅後にネットでニュースを観ていると、加山雄三脳梗塞、と報じていた。かなり高度な検査を定期的に受けているはずなのに、病気とはどんな人にも突然訪れるものらしい。

 検診といえば、社会に出てからこれまで、一度も受けた記憶がない。あ、一度ある。数十年まえに生命保険に入る際、保険屋のお姉さんに引率されて、その保険会社と契約している産婦人科の個人病院で、簡単なチェックを受けたことがある。それだけだ。

 喰うものは美味ければ何んでも大量に胃袋に入れ、毎食腹十分状態だし、塩分や糖分も考えたことがない。酒はそんなには飲まないが、煙草は一日二箱。

 こんなんじゃ、正常であるほうが異常だろうから、わざわざ病気を探しに検診など行こうとは思わないで今日に到る。もし病院に行けば、医者が小躍りするぐらいの病が見つかるのではないだろうか。

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 そんなことを思いながら、今夜ももう少しで出来るはずの夕食を愉しみにしているのだから、どうしようもない。

暇。

最近、暇なのをいいことに、ずっと過去に書いて日の目に当たらなかった原稿の読み直しをしている。

官能物の殆どは活字になっているので、その他の原稿。数だけはヤギに喰わせるほどにある。読み返したり書き直したりしていると、官能物との書き方の違いが如実に判る。

 

 どっちがどうとも言えないけれど、もっとも違うのは男と女の書き方の違いだろうか。一般的な小説は男女の物語にはいくつものパターンがある。手も握らずに終わる純愛? デートを重ねた間柄でも、手を握るぐらいで終わる関係もある。要するに、ハッピーエンドは無論のこと、男女が十組いれば十通りの恋愛模様が繰り広げられる。

官能はちょっと、いや、だいぶ違う。第一、官能物で純愛を成り立たせるのは至難の業だ。知り合った男女を十組描こうとすれば、その十組を必ず合体させなければ官能物にはならない。ストーリーはいくつもあるが、しかし、それにしても合体までいくまでの様々な回り道でしかない。

そう思えば、書き手としては目的が交わる、という一点なぶん、官能物のほうがはるかに難しい。なにもしないうちに別れさせてはいけないし、だから、そこへいくまでの色んなパターンを何とか強引にでも形にしていく。

 一般小説の男女は、何もなく別れた後の男女の機微や葛藤を描くという手もあるけれど、官能は必ずそこへいくまでの男女の機微や葛藤をなるべくや~らしく描かなければならないのだと思う。

 

 それにしても、こんなことを書くのも、「暇」だからだね。

そんなこんなで、明日からは料理人にカムバックし、長い期間ではないだろうけれど、アルバイトに精出そうとしているところです。

田舎暮らし。

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 うちの猫。もう炬燵に入ってます。

 


短期間だろうが、来月11月から、恩人からの要請により、料理人としての仕事に復帰することになった。

ずっとデスクワークばかりだったので、躰がとことん鈍り、立ち仕事をする以上、足腰ぐらいは鍛え直そうと思い、ウォーキングマシーンでトレーニングをし始めた。

30分で距離にして2キロぐらいなものなのに、これがかなりきつい。

ついでにボンレスハム状態にまで弛んだ腹部を少しは絞ろうとは思っているが、それはなかなか難しいようだ。ナイシトールにでも頼ったほうがいいのだろうか。

 

 それにしても、リタイアしてからだいぶ経つのに、こうして声をかけてもらうのだから有難いものだ。まだ仕事の時間とか報酬とか、詳細は決めていないが、そんなのはどうにでもなる。たとえ毎日8時間労働ではあっても、そんなには原稿書きに影響はないだろう。

 最近はそっちは暇だし、実にいいタイミングでの料理人としてのオファ。

ま、べつに無理に働くこともないのだが、声がかかれば動きたくなるのは貧乏性の証なのだろう。

それにしても早いね。もう11月だよ。いまは温かいけれど、来月半ばには冬タイヤにしなければいけない。こんな繰り返しでまた一つ、歳を重ね着していくんだね。

台風。

今、午後三時。

台風はまだ、八丈島あたりらしいが、三陸のこの地にも影響が出て、少しずつ、風が強まってきている。昨夜夜半から雨も降りどおしで、鬱陶しいこと甚だしい。

 ここいらにもっとも近づくのは明日だろうか。築五十数年の木造あばら家住宅なので、風に堪えられるかどうか心許ないが、避難施設となっている公民館よりは高台にある家のほうが安全なような気がするし、猫もいるので家に這いつくばって、台風が通り抜けるのを待つことにした。

 

 今、書斎にあがり、うねりと岩に当たって砕けた波飛沫が舞い上がる海を見ながら、さて、こんな日はどうしたものか、と思い、あ、そうだ。原稿でも読み直すか、と思い立ち、一応完成している一般小説の原稿を眼の前に置いて、ここへの書き込みをしている。

 

 台風がこのあたりまで影響を及ぼすのは何十年ぶりだろう、幼いころはけっこうな数が来ていたような覚えがあるが、最近はずっとなかったような気がする。

 それにしても、台風、地震津波、とどこに棲んでても緊張を強いられるね、この国は。

 自然現象だけじゃなく、最近は取り巻く近隣の情勢も落ち着かない。

何かこう、気持ちがパッとはじけるようなのってないのだろうか。最近、いつもそう思う。