一安心。
昨日届いたゲラを今日送った。
ちょっと日程が詰まっていたので、一晩で完了。
誤字脱字の類だけで、そんなに多くなかったのでよかった。
あとはもう、来月の発売日を待つだけ。
これからちょっと時間が空くので、地元の大手企業の創業者の自伝というか、一代記のようなのを下降と思う。
これは依頼。けれど、世話になった人なので、一枚いくらとは決めずに、相手方の「お気持ち」--寸志でいいとの話し合いで引き受けたのだが、これがまた、なかなかな進まない。
急がなくてもいいとは言われているが、御年八十五歳の人物なので、元気なうちに仕上げようとは思うが、まだ三十枚しか書けていない。
一冊にするのだから、最低でも二百枚ぐらいは必要だろうから、気が遠くなる。
官能物なら想像で書くので、時間さえあれば四百枚ぐらいなら一か月で仕上げられるが、ノンフィクションが軸なので筆が進まない。
今年中には終わらせたいのだが。
縁起物。
蛇は縁起物らしい。
そういえば、ずっと前、小さな地方文学賞発表前夜、
小さな金色の蛇を夢で見て、そのときは選奨だった。
大賞なら、もっと大きな蛇だったのだろうか。
今回は夢でも何でもなく、現実。
庭でコーヒーを呑んでいたところ1mぐらいしか離れていない桑の木の枝を蛇がのぼりはじめていた。すぐそばに人がいるのに、逃げる気など微塵も内容で、じつに悠々と木の枝に絡まり、美味そうに木肌を舐めていた。
金色ではないが、それに近い色。大きさも夢で見たのよりはだいぶでかい。
何かいいことがあればいいのだが。
それにしても暑い。いまからこれでは真夏が思いやられる。
話は違うが、この場で、西城秀樹さんに、合掌。
新刊。
六月に出るようだ。
書くごとに難しくなる。
時間は充分すぎるほどにあるのに、毎度のことながら、切羽詰まらないと書き始められないので、正味二ヶ月弱での仕上げになる。
救いは直しがないことだろうか。誤字誤植などの直しは当然あるが、内容へのダメ出しは殆どないので、精神的にはだいぶ救われている。
もっとも、超わがままなので、直させたいのに、舌打ちぐらいで堪えている可能性もあるけれど。
私など、今はすでに潰れて存在しない出版社で一度、官能小説大賞なる怪しげな賞をとっただけで、現存する官能系出版社での新人賞などにはまったく縁がなかったのに、声掛けしてもらい、今に至っていることを思うと、唯々、ありがたい思いしかない。
内容的にもそんなに上手いわけでもなく、売上的にも底辺をうろついている体たらくなのに、これはひとえに、担当に恵まれている、ということなのだろう。
故に、新刊が出るたびに、前作より一部でも売れてほしい、と願わざるを得ない。
そんなことを思いながらも雑な性格もそのままに、今日も気のままにパソコンに向かっている。
「一代記」。
だいぶ世話になった、ある人の「一代記」を書いて本にしてほしいとの依頼があり、
今日その人に会い、一回目の取材に行ってきた。
なにしろエピソードが異様に多い人物なので、時系列やその内容を整理するだけで、かなりの時間を要するようだ。仕上がりは一年後ぐらいだろうか。
だけど、エロ本書きの俺なんかに頼むのだから、それだけでも凄い人だと思う。何とかありきたりの「一代記」とは違うものに仕上げたいと思っている。
それにしても、俺に頼むとは。奇特な人もいるものだ。
終わった。
だいぶ前に受けていたのに、締め切りが近づかないと書き始めないルーズな性分で、
書き始めたのが二ヶ月ぐらい前。今日、やっと終わった。
少し推敲して、送る。
二ヶ月費やしたが、一日で書く時間は正味二時間ぐらいなもの。なかなかパソコンの前にスタンバイしても、メールだ写真だ、仲間との交流だ、と遊ぶ時間のほうが多いので、切羽詰まると苦しくなる。
これは毎度のことなのに、まったく改善出来ていない。性格のずぼらさは不治の病ようなものらしい。
ともあれ、終わった。締め切り日には充分間に合う。書き手ーーいや、私にはこの瞬間が至福。
推敲は本編をかくのと比較すると、おそらく、数日で終わる。
いい季節なので、送った後はしばらくのんびりと遊ぼうか。
もの思う、昨今。
年齢的なこともあり、店仕舞いした。今月十八日でおわりにしたが、月末までは店内外の後片付けに時間をとられてしまう。
原稿の締め切りが近づきつつあるが、まだ終わってない。いつものことなので、ま、何とかなるだろう、と気持ちはのんびりしているが、雑多なことが多すぎて、いささか疲れている。
上京し、十八歳から定休以外一日も休まず働いてきたのだから、もう、いいだろう、と思ってのこと。だから、店を閉めても寂寥感はまったくない。
さ
これからは小説書きの時間が増えることが嬉しい。
書く仕事は店同様、殆ど肉体労働ではあるが、依頼さえあれば、二ヶ月で一冊分書くくらいの体力はまだある。丈夫さだけが取り柄なのだ。
若いころは(今でもそうだが)、所謂文学青年ではなかった。本など滅多に読まなかった。唯、水商売を気が遠くなるほど長く続けていたので、男と女の様々は、水商売以外の仕事をしてきた人よりは、多少多く見聞していると思う。
貴重な体験はいっぱいある。これは官能物だけではなく、一般小説の材料にもなると思う。唯、生まれ持った腕が、それらを上手に料理するには些か心許ないけれど。
F書院。官能小説大賞の最終候補作が出揃ったようだ。
過去に一度応募したことがあるが、掠りもしなかった。それでもこうして書かせてもらっている。担当に恵まれているからだろう。
だが、次々に新人の、しかも才能豊かな書き手がデビューする。それを思えば、もうそろそろ、お払い箱になってもいい時期ではある。
そんなこんなを思いながら、今日も相変わらず、締め切りに向かって書き続けている。
写真は最初のが震災後の店で、後のが震災前の店。