「北日本文学賞」。
いやはや、今回は悉く予想を外されてるね。
土曜日5時が続いているので、今日だと思っていたのが、なし。
これまで日曜日発表ってのは記憶にないけれど、あったかなぁ。
もしかしたら、意表をついて、そんなこともあるかも知れない、と思いつつ、早々に落馬した私が言っているのだから、
通過している書き手のみんなは、堪らん気持ちでいるだろうね。
今年の富山はどうなのだろう。あちこちから夏日なみの気温が知らされているけれど、こっちも温暖を通り越し、仕事中は汗だく状態。
立山には雪、積もっているのだろうか。
富山にかぎらず、日本海側にはこの賞の授賞式で一度しか訪れたことはない。
私は太平洋側のそれも島に棲んでいるので、最初、日本海を眼にしたときには戸惑った。
それは海の方角。
太平洋側では海と言えば南に広がっている。日本海側は真逆。海は北側にあり、南側は山。
当時は連れとともに行ったのだが、電車から何気に、
「南はどっちだ?」と訊いたところ、海のほうを指差して「あっちでしょう」と言っていた。
私も「あ、そうだよな」と応えた。
そのように、私たちにとって、海は常に南側にある。
海の方角だけではない。海そのものが違う。日本海の海は太平洋より色が濃い。そのときの天候がそう見せたのかも知れないが、
私の目には、その当時の濃紺色に広がる日本海の荒々しい姿に何度もため息を繰り返した記憶がある。
富山といえば、薬屋さん。その薬屋さんが7月と2月、年に2度、島を訪れる。1か月ほど滞在し、昼飯を食べに毎日来てくれる。
二人で来るのだが、一人の方の息子さんが富山で料理屋を営んでいて、何度か頼まれてフカヒレを送ったことがある。
そのように、一度しか訪れたことがないにも関わらず、私にとっての富山という町は妙に印象深い。
その富山。仲間たちの誰かが訪れる結果にならないだろうか。そんなことから、もはや観覧席で応援するしかない私ではあるが、通過者以上に期待を込めて、3次、4次の通過者発表に、老いた胸を躍らせている昨今なのである。