終わった。
だいぶ前に受けていたのに、締め切りが近づかないと書き始めないルーズな性分で、
書き始めたのが二ヶ月ぐらい前。今日、やっと終わった。
少し推敲して、送る。
二ヶ月費やしたが、一日で書く時間は正味二時間ぐらいなもの。なかなかパソコンの前にスタンバイしても、メールだ写真だ、仲間との交流だ、と遊ぶ時間のほうが多いので、切羽詰まると苦しくなる。
これは毎度のことなのに、まったく改善出来ていない。性格のずぼらさは不治の病ようなものらしい。
ともあれ、終わった。締め切り日には充分間に合う。書き手ーーいや、私にはこの瞬間が至福。
推敲は本編をかくのと比較すると、おそらく、数日で終わる。
いい季節なので、送った後はしばらくのんびりと遊ぼうか。
もの思う、昨今。
年齢的なこともあり、店仕舞いした。今月十八日でおわりにしたが、月末までは店内外の後片付けに時間をとられてしまう。
原稿の締め切りが近づきつつあるが、まだ終わってない。いつものことなので、ま、何とかなるだろう、と気持ちはのんびりしているが、雑多なことが多すぎて、いささか疲れている。
上京し、十八歳から定休以外一日も休まず働いてきたのだから、もう、いいだろう、と思ってのこと。だから、店を閉めても寂寥感はまったくない。
さ
これからは小説書きの時間が増えることが嬉しい。
書く仕事は店同様、殆ど肉体労働ではあるが、依頼さえあれば、二ヶ月で一冊分書くくらいの体力はまだある。丈夫さだけが取り柄なのだ。
若いころは(今でもそうだが)、所謂文学青年ではなかった。本など滅多に読まなかった。唯、水商売を気が遠くなるほど長く続けていたので、男と女の様々は、水商売以外の仕事をしてきた人よりは、多少多く見聞していると思う。
貴重な体験はいっぱいある。これは官能物だけではなく、一般小説の材料にもなると思う。唯、生まれ持った腕が、それらを上手に料理するには些か心許ないけれど。
F書院。官能小説大賞の最終候補作が出揃ったようだ。
過去に一度応募したことがあるが、掠りもしなかった。それでもこうして書かせてもらっている。担当に恵まれているからだろう。
だが、次々に新人の、しかも才能豊かな書き手がデビューする。それを思えば、もうそろそろ、お払い箱になってもいい時期ではある。
そんなこんなを思いながら、今日も相変わらず、締め切りに向かって書き続けている。
写真は最初のが震災後の店で、後のが震災前の店。
「北の大将」。
政治的なことはあまり興味がないが、今度の北朝鮮にはさすがに愕いた。
南と北の首脳会談が4月に決まった、というのにも展開が早すぎてびっくりしたが、5月にはトランプ大統領とも会談するとのニュースに、呆然とした。
いまのところ、何が何だかわからない面がいっぱいあるけれど、この北とアメリカ、2つの首脳会談が上手に着地すると、北の大将、大変な政治家として世界中から称賛されるのではないだろうか。
またたとえ失敗しても、アメリカとの対話は初めてだけに、北にとってはマイナス面は何一つなく、未来永劫、あの大将の名前は歴史に残る。
それにしても、日本は何をしているのだろうか。ずっと以前、アメリカが頭越しに中国との話し合いを持ったことを忘れているわけではないだろうが、今回のコレだって、実際は寝耳に水だったのではないだろうか。
ウチが一番親しい国。そう思っているのは日本ーー安倍晋三さんだけで、アメリカはそんなことまったく思っていないような今回の会談合意。慌てて訪米し、どのような繕いをするつもりでいるのだろう。
安倍さん、というか、政府は国内外の問題で頭が痛そうだね。最近はカケ問題は鳴りを潜めているが、モリトモ問題はとんでもないことになっている。財務省の原本書き換え問題。それに関してのものなのか、あの佐川さんが辞めさせられて、挙げ句、関西の財務局だかで、あの籠池さん問題で係わっていた人物が自殺したとのこと。
いやはや、何とも嘆かわしい事態になっていて、死んだひとだけが哀れだよ。そう思わずにはいられない。
政権が長いこと続き、拮抗勢力がないとえてしてこんなことに陥る。最近の安部さんの顔、さこいらの独裁政治家が思わずそっぽを向くような人相になっている。
ま、それはともかくとして、アメリカと北朝鮮の首脳会談、どこにするのだろう。
メディアでは平壌だ、南北の国境だ、ワシントンだ、と情報が錯綜しているようだが、俺がもし、安倍首相なら、アメリカと北朝鮮に対し、「ぜひ、日本でやってくれ」と強引にでも売り込むけどね。そうすれば、蚊帳の外とはならず、当然、北と日本との首脳会談もなされるだろうし、韓国の大統領もオブザーバーとして必ずや来るだろうから、一気にいろんなことが動き始める。
非核化。拉致問題解決。この2つが譲歩されれば、アメリカも日本も、いや、もう、結構、と言われても援助を活発にするんじゃないかな。
私はぜひ、アメリカと北朝鮮、それに韓国を交えての4か国首脳会談を、日本のどこかでするよう、安倍さんにはアピールしてほしいと思う。
そうなると慌てるのは中国とロシア。面白いと思うけれど、どうだろう。
それぞれの書き方。
時折、同業者のブログを拝見する。
それにより、驚くことが屡々ある。
よく、編集者と会い、次作について話し合い、それをベースにしてプロットをつくり、書きはじめる、との記述を眼にする。
(ああ、それって、いいなぁ)といつも思う。
地方に棲んでいる弊害だろうか。私は編集者とは一度もあったことがない。ほぼ、メールでのやりとりだけ。
しかも、作品についてのメールは殆どないに等しい。
大体、新作のゲラ校正の段階で、次作を何月までに仕上げてください、とのメールがある。内容についても、1、2行、短いコメントがあるだけだ。
それに対して、「了解しました」と返信し、次に取り掛かる。
むろん、プロットなど書いた試しがない。それはたぶん、以前にプロットは本編以上に苦手なので、可能ならば書きたくない、と言ったことに起因していると思うのだが、このプロット提出がないだけでも、精神的にはかなり楽をさせてもらっている。
本編が仕上がった時点で、先方に送る。大体が約束枚数を超過しているので、多少削る場合があるが、あとはもう、ゲラが届くのを待つだけとなる。
だけど、これではいけないのだろう。やはり、担当編集者とはその都度会い、教えを乞うのが書き手としての常道だと思っている。
それをしないから、たいして売れないのかも知れない。いや、それをしたところで、この程度の腕なのだから、これからもそんなに売れはしないだろうが、しかし、出版社の近くにいて、担当と会い、意見を交わす書き手を、とても羨ましいと思う。
プロットを切らないとはいっても、頭の中には構想が多少ある。
それを思い浮かべて書き進めているつもりなのだが、次作を半分ほど書いたので、ちょっと戻って読み返してみれば、頭の中の構想とはまったくかけ離れたストーリーになっている。毎度のことながら、困ったやつだ、この俺は。
次作。
いまのところ、順調に進んでいる。
とはいっても、まだ7、80枚というところだが。
それでも、残りの日数を思えば、これまでよりはだいぶ余裕がある。
いつもそうだが、書かなければ、とは思いながら、いろんなことに時間を費やしてしまう。いまオリンピックについ振り回されてしまう。
その冬季オリンピック。今日は羽生と宇野が金銀のメダルをとって、津々浦々まで沸き立っているようだ。
だが、私はそんなにはフィギュアスケートーー特に男のには興味がない。
それよりもスケートは断然、女性のスピードスケートがいい。
明日からかな? 女子の500は。あの躍動感が堪らない。
それにしてもとんでもなく風の強いところで開催されたものだ。スノボーでオリンピック選手があんなにも転倒するシーンは、あまり、というか、殆ど見たことがない。
まさに命がけ。せっかく努力しての出場なのに、あんなので怪我などして再起不能になどなったのでは、たまったものではないだろう。
でも、アスリートって凄いね。あの一瞬を味わうためにすべてを賭けているのだから。振り返ってみるまでもなく、私はものごとにすべてを賭けたことなど、自慢じゃないが、ひとつもない。
今からじゃ、年齢的に遅いだろうし、仕方がない。これまで通り、だらだらと生き続けていくしかないか。
新作、うーん……。
毎回そうだけれど、今回は出足悪いなぁ。
そろそろ、註文も来なくなるかな。
ま、それでもいいが。
それにしても、どんなのをどんなふうに書けば売れるのだろう。
新作が出るたびに悩ましい。
こればかりは売れてる人の真似をしたところで解決はしない。
つまるところ、持ち合わせた資質の問題だろうね。
と嘆きつつ、今夜も次作に精出します。
久しぶりの新刊。
今月二十三日に発売される。
前作が八月だったので、だいぶ間があいた感じがしないでもない。
前にも書いたが、今度のはコンビニにも配本されるそうだ。
過去には書店用とコンビニ用とでは中身は同じでも表紙は違っていたのだが、
今回は同じものらしい。
ともあれ、そんなに売れはしないのに、こうしてコンスタントにオファしてもらえるのだから、書き手としてはありがたいことだ。
ずっと連作のような感じだったが、今回のはだいぶ違う。
自分ではよく判らないが、誤字脱字チェックだけで直しもなく、担当は「いい」と言ってくれている。
欲が深いと嗤われそうだが、他社からweb出版しているのがけっこうある。
可能ならば、それらも紙本出版したいものだが、官能場面がちょっと軽いので無理っぽい。
それにしても、官能小説は三冊ぐらいまでは簡単だが、それ以上になるとかなり難しい。行きつくところが一つだからだ。一般小説なら恋愛関係に陥っても、何もなく別れさせても物語になるが、官能は必ず、しかもなるべく早く、行きつくところまで行かせなければならない。
そこいらが難しい。
とはいえ、書き始めたなら書き終えるのが使命。書きはじめるまでが大変だが、始まれば出来はどうあれ、必ず書き通す。それを信条としている。