小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

平積み。

 「とんぼ返り」の続きですが、

帰りに東京駅新幹線ホームにあがる手前の弁当専門店で、土産として、うなぎ弁当を必ず買います。

その前に時間があったので、駅構内に二つある、小さな本屋をのぞいたところ、二つ目の店の奥に、官能コーナーがあり、八月に出た拙著が平積みになっているのを見つけ、ちょっと嬉しかったですね。減り具合は三番目ぐらいだったかな。

ご承知の通り、あまり売れていないってのが現実ではあるけれど、目の当たりにすると嬉しいものですね。

田舎でもコンビニなどでは並んでますね。噂では、七月か八月にはエロ本はコンビニから撤収なんなて言われていたけれど、まだ、なんですかね。どうせなら、撤収なんてのは撤回してほしいですね。

 

 さてその店に積まれていた本ですが、一人、見事に肥えたおじさんが、実に堂々とその平積みや棚にあるのを真剣な顔で物色していました。

それを見て、こちらも商売人の端くれとして黙って見過ごすわけもなく。自著を手に取り、「著者ですが、買ってください」と声掛けし、一冊買っていただきました。愕いていましたね。顔とペンネームのギャップに愕いたのでしょうか。

 

 それでもよかった。確実にその日は、一冊は売れました。

とんぼ返り。

 集まり、というか、呑み会があり上京。台風から逃れるように帰って来た。

それにしても都心の暑さはしんどいね。全身汗まみれでぐったりした。

 ま、そんなことはともかく、呑み会じたいは面白かった。二度目なので、はじめてのときよりはだいぶ、色んな人たちと話し合えた。

 一次会が五時過ぎからだったが、ホテルにチェックインしてすぐから近場で〇次会。

五人ほどで昼間から呑み始めた。それから二次会終了までノンストップで呑んでいたので、八時間以上、ぶっ通しだったことになる。

 

 宴の中で感じたことは、みんな、ひたむきに真剣に仕事に取り組んでいる、ということ。感心するばかりだった。

 こちらはといえば、切羽詰まっても一日最長で二時間ぐらいしかしないので、あ、これが差に繋がっているのかな、と思ったりもしたが、しかし、ただ思うだけで、これまでのペースは崩せそうにないところが最大の欠点だろう。

 

 それにしても、まだ二度目の参加とはいえ、名前と顔が一致しない。一度目で殆どの方の名刺をいただいているのだが、今回の二度目でもまだ、初対面のような気がして、隣にいる人に出席者の名を一々確認していた。

 店でだと一度来店してくれた客の顔はほぼ記憶し、たとえ百人入っても、客がオーダーしたものも、それを通したウェートレスの声まで記憶しているのに。そんなことを思うと、比較して真剣さが足りないのかな、とも思わずにはいられない。

 

 だけど、愉しい時間ではあった。ただ、東京までが遠い。

気分転換。

 二十年ぐらい、短いのでも長いのでも、ずっとパソコンで書いてきた。

それ以前は、一度原稿用紙に書き、ワープロで清書していた。書けば印刷して送っていたので、それが一番の方法だった。

 前記した二十年ぐらい前からはメールに添付しての提出なので、そうなるとパソコンが便利で、原稿用紙に書いた汚い字を見てめげることもなくなり、疲労感も一気に減少し、とても気に入っていたが、しかし、八月の末に突然、初心にかえろうと思い立ち、

原稿用紙に一度書き、それをパソコンで推敲しながら清書しようとし、九月一日から、それを実行している。これを機に、万年筆も新調した。パーカーとパイロット。結構な値段だったが、だからこそ、原稿用紙に書く、のだ、という覚悟も出来る。

 

 そうしたからといって何一つ変わるわけではないが、それでもずっと以前、原稿用紙で書いていたころのほうが、何となく充実していたような気がしたからだ。

 書き始めは前にも記したような記憶があるが、とても遅かった。そのせいでもないだろうが、何かに憑かれたように書きなぐった。

 書いては応募し続けた。結果も出た。いきなり「北日本文学賞」の選奨をとり、続けて、いまはないが「小説ciub新人賞」の最終に残った。それはしかし、編集に呼ばれ、数か所書き直してくれれば掲載すると言われたが、当時は気が滅法強かったので、

「来年応募してとるからいい」と断った。今思えば編集のいいなりになっていればよかった。翌年には最終に残ったのよりずっといい、と思っていたのが、一次にも掠らなかった。

 次には、これもいまは潰れているが、「新風小説」というエロ本の月間雑誌が新人賞を募集していたので、それに応募し、大賞受賞となった。この賞は三回で打ち止めとなった。私は第二回。第一回が北原双治氏で、第三回が、北山悦史氏。受賞後、その雑誌に十数本、短編を載せてもらった。それが原稿料をもらったはじめてだった。

 その年は当たり年だった。祥伝社のウェブで、やはり募集があり、そこでも最終に残った、普通、それで終わりだが、編集長から誘われ、そこでも二十本ぐらい短編を載せてもらった。ここの編集長にはお世話になった。八年前の大津波のときには、わざわざ三陸の離島までお見舞いに来ていただいた。

 まだある。「週刊実話」という週刊誌がある。そこでもシニア官能? だったかの募集があり、応募すると二番手に入った。

 なんとなく充実していたような気がする。原稿用紙に書き、ワープロで清書していたころであり、途中からパソコンに替えたころだった。

 

 完全に原稿用紙を棄て、パソコン書きになり、原稿をメールで送り始めたのは、キルタイムあたりからだろうか。

 興味のある方はいるだろうか。すぐにではないが、ツテも何もなく、キルタイムで書くことになった経緯など、ポロッポロッと書いていこうか、と思ったりしている。

新刊。出るには出たが。

相変わらず、売れんなぁ。

もともと体力がないのに、スタートダッシュに躓くと、そのまま浮き上がることなく失速してしまう。

毎月出していると書き手もいることだし、売れる人は売れている、ということなんだろうね。

それでも冊数的には一応、目途にしていた数に達したし、ま、いいか、という感じもある。

今年中にもう一冊あるかどうか。あるとすれば、これからの半月がタイムリミットだろうね。

もうすぐ、上京。とはいっても、半月後だけれど。

六月に上京したばかりだが、来月七日、またしても会合があり、上京することになった。会合とはいえ、仲間たちとの呑み会がメイン。

 相変わらずの一晩泊りで、翌日の午後二時過ぎには帰りの新幹線に乗っている、という慌しさ。

 疲れてへとへとになるけれど、田舎でぐ~たら生活している私にとっては、たとえほんの一日とはいえ、刺激を貰えるので、可能なかぎり、集まりには出席と決めている。

 今回は三十人近く集まるようだ。はじめて二次会まで参加するけれど、ホテルが駅の真ん前なので、その点は楽。

あと約半月後。愉しみです。

抽斗から過去を呼び戻す。

今月に官能の新刊が出るが、そのゲラを七月初頭に送ってからこれまで、普通の小説を書いたり、ストックしてある過去のを読み直したりしている。

 むろん、低レベルの習作なので、だれからも見向きもされないものなのだが、

そんな傷物でも生みの親としては飼い猫同様可愛いし、もし奇跡が勃きるなら、これもこれも、という思いに急かされての、

自慰行為のような作業を自ら慈しんでいる。

 この十年ほどはパソコンですべて書いているので量的には大したことないが、以前は原稿用紙に書いたのを、ワープロで清書していたので、その原稿用紙の量が半端じゃない。重ねれば背丈ぐらいにはなるのではないだろうか。

 時間があるとあちこち抽斗を漁っていて、十年ほど在籍していた同人誌で刊行した本もだいぶ出て来た。

 千葉にあった「松柏」その後の「新松柏」という同人誌で、私の短編もかなり載っている。

 今はないが、当時は「文学界」に同人誌評のコーナーがあり、そこに取り上げられるのが愉しみだった。

 私は五度取り上げられた。その中の一作はが、文学界の何月号だったか、ベスト5に取り上げられたときにはとても嬉しかった。

選んでくれた評者から連絡があり、「とてもいいと思ったので、文学界の編集に推薦しておいた」との言葉があり、転載は実現しなかったが、一時期、舞い上がったことなどを思いだしながらの、今になっての古い原稿の読み直し。

 また、あのころの心意気をどんな方法かで取り戻し、再び、応募に明け暮れるのも、これからを過ごすにはいいかも知れない。

 そんなことを思いながらの作業は、かなり虚しいのだが、しかし、愉しい。

フェアー。

 昨日、今月に出る新刊見本が届いた。

手にとり、眺めているうちに編集担当からメールがあり、大阪の本屋さんで書院フェアーが催されるらしい。そこに必要だということで、作者としての「サイン」を求められた。

 本ではなく、本の表紙だけが新刊見本のなかに入っていて、それにサインし、返送してほしい、ということで、一応、書きはしたが、初体験なので、少し恥ずかしい気分だった。

 この程度の書き手のサインでも、少しは場の役に立つのだろうか。甚だ疑問ながら、それと同量、それにより、少しでも売り上げが伸びれば、と思わずにはいられない。

 

 盆。各地で台風による被害で大変なようだが、こちらは空模様は芳しくないが、いまのところ平穏。ここいらは津波を除けば、国内でも珍しいほどに安全地帯のような気がしている。台風は滅多に来ないし、川の氾濫や土砂崩れなどもあまり耳にしたことがない。海はそれなりに時化ているようだが、漁師たちの予報はある意味気象庁以上に正確で、海の様子や雲の走り具合などから判断し、こんな日はのんびりと過ごしているようだ。

 

 それにしても、沖縄、九州、四国、それに近畿地方は台風が来るたびに大変な状況を余儀なくされる。大変だと思う。それらの被害はさほどない地域に棲んでいるとはいえ、時折ではあるが、凄まじい大津波を体験している身としては、ただひたすら、お見舞い申し上げるしか術がない。