小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

ふぅ、暑い。暑すぎる。

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SI/BunkoSyuppan?sppnscd=00047&taishongpi=201708&listcnt=0

どうやら、八月に新作が出せそうだ。

前作が三月だったから、五か月ぶりとなる。

この時期にきて思うのは、毎回のことではあるが、一冊でも多く売れてほしい、ということだけ。

 そろそろ次作を書きはじめる時期。暑い、などと嘆かずに書きはじめるとしよう。

 

 今月は二日に母が亡くなり、昨日の葬儀終了まではなんやかんやと様々なことに忙殺され、エネルギーを費やした。

 無事恙なく母を送り、これからは自分のことだけを考えることに専念できる。

ともあれ、まったく手がかからず、見事に逝った。九十三歳。大往生だろう。見習いたいものだ。

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家の庭と山の境目に、老いカモシカが来て寛いでいた。

近所の年寄りたちが言うには、亡くなったばかりの婆ちゃんがカモシカとなり、訪れたのだとか。おいおい。

仲間たちーーこの才能が羨ましい。

http://www.shinchosha.co.jp/r18/interview/no16_itou.html

 

少し、才能を分けてほしい。

この子の憎いところは、さりげなく私の名前を宣伝してくれているところだ。

いずれにしろこのうら若き新人作家。

今後も次々にいい作品を書き続けていくことだろう。

ド田舎での「のど自慢大会」。

大島で「のど自慢大会」が行われるようだ。
今日、スタッフが店に来て、ポスターを貼らせてほしいということだったので、貼り付けたのがこの写真。
NHKで日曜お昼ののど自慢大会の司会をしていた人が、ぜひ大島で、とのことでの開催のようだ。
しかし、いかんせん、大島、これから多少は集まるのだろうが、今日現在で三人しか申し込まれていないそうだ。
二十人の挑戦者を集めたいとのこと。...
どなとか「よし、俺が」と歌ってくれる奇特な人、いないかな?

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画像に含まれている可能性があるもの:2人

電子書籍。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01BH37I2G?ie=UTF8&redirect=true

 

 出版社経由ではなく、自分で出したものだけれど、売れない。

ま、紙本も大したことないんだろうが、webはとくに私のような無名作家のものは売れないねぇ。

 なんか売るコツっての、あるんだろうか。

 やはり、個人営業って難しいのかな。

 でもネットを覗くと、かなり売れている人もいるようだし、所詮は内容次第ってことなのだろうね。

 

 ゴールデンウィークはもう一つの仕事である、店の営業で終わりそうだ。

五月末までのを抱えているのに、さっぱり進まない。毎度のことだが、困ったものだ。自己嫌悪に陥る。

 

 三陸の島に住んでいるのだが、先月、やっと橋が設置された。とはいっても開通は予定では二年後、いまのところ絵に描いた餅同然て、眺めているだけだ。

 全長にして230㍍ぐらいの短い橋。車で通過すれば1分か2分で渡り切るが、しかし、この橋、計画から50年たっての架橋。我々にとっては、この短さでも、過去半世紀にも及ぶ距離がある、途方もなく長い橋。

 何とか前倒しで開通させてほしいものだ。

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もし、叶うなら。

 ある人から指摘を受けたことではあるが、しかし、これは私がずっと以前から構想していたことと一致する。

 それはいまの逆バージョン。

 ヒロインは一人に限定し、これまで書いてきた複数ヒロインを男に置き換えて書いてみたい。

 六章ぐらいにして視点を半々に。

 形式は「夜這い」がいいかな?

 しかし、ヒロインは(この人なら)と感じた男しか受け入れない。

若い男、中年男、初老の男。それぞれの思惑を胸にして行動を起こすのだが、しかし、それにはヒロインに受け入れてもらわなければならない。

 

 暴力的なことは抜きにして、ヒロイン主導でありながら、けれどその魅惑的なヒロインは、最初こそ上から目線ながらも、途中からは奉仕型の熟女へと変貌する。

 

 そんなじっくり、ねっとりとした交わりを堪能するような一人ヒロインでお話を構築してみたい。

それはおそらく、書き手である私の嗜好が望んでいることかもしれないけれど。

 

 これもいつも世話になっている読み手から、島を舞台にした「しきたり」「掟」を題材にしたものが七作目だとの指摘を受けた。。

「またかよ」という声が聴こえてきそうだ。申し訳ないと思う。

唯、一作でもいい。この地方エロ小説で、5の評価を得るモノを書きたいものだ。

それがなかなか難しい。

あれから六年。

 早いのか遅いのか、あの震災から六年が過ぎ去った。午後二時四十六分、海に向かって黙祷しながら、脳裏に当時の光景を呼び戻していた。

 今なお、鮮明に蘇る。町のあちこちから火が燃え広がり、鹿折から大島までの海上が炎の帯となった。行き場を失い、フェリーが湾内にできた渦潮に翻弄され、何艘もの漁船がぶつかり合い、キシキシと音をたてながら真っ黒に燃え、あるいは沖や湾の奥へと流され、町の道路のすべてが川となり、濁流があらゆるところを飲み込んでいった。

 叫びが聞こえ、悲鳴が空気を揺らし、人々はみな、無情の上に立ち尽くしていた。私を含め、人々は明日からの羅針盤を悉く失った。達人が描いた地獄絵図よりも凄まじい光景が、前後左右どこを観ても延々と連なっていた。

 あれから六年。国は着実に復旧復興が成し遂げられつつあるという。

 そうかも知れない。しかし、それと同時に、人々は確実に六つ時間を重ね着し、動きもままならなくなりつつある。当事者である私たちはよもや忘れはしないだろうが、全国的にみれば、あのとてつもない三月十一日は風化への六年になっているとのことだ。それでも毎年、その日が来ればテレビが特集を組み、被災地を取り上げている。圧倒的に南三陸や岩手沿岸の画が多く、気仙沼地域はすくないが、膳場さんは今年も自ら当地に赴き、我々の地域の「今」を伝えてくれていた。ありがたいことだ。

 今日が過ぎれば明日がくる。その明日もどんな明日になるのかわからない。けれど、今を生きる私たちは、あの六年前のあの瞬間まで、元気に過ごしながら理不尽にも命を奪われた多くの人々の犠牲の上に立ち、今日をいまを過ごしていることを忘れないで、必ずくる「明日」と対峙しながら歩き続けるしかないように思う。

 

 それにしても、いつ見ても思うのだが、膳場さん、知的でとても綺麗だよなぁ。