気分転換。
二十年ぐらい、短いのでも長いのでも、ずっとパソコンで書いてきた。
それ以前は、一度原稿用紙に書き、ワープロで清書していた。書けば印刷して送っていたので、それが一番の方法だった。
前記した二十年ぐらい前からはメールに添付しての提出なので、そうなるとパソコンが便利で、原稿用紙に書いた汚い字を見てめげることもなくなり、疲労感も一気に減少し、とても気に入っていたが、しかし、八月の末に突然、初心にかえろうと思い立ち、
原稿用紙に一度書き、それをパソコンで推敲しながら清書しようとし、九月一日から、それを実行している。これを機に、万年筆も新調した。パーカーとパイロット。結構な値段だったが、だからこそ、原稿用紙に書く、のだ、という覚悟も出来る。
そうしたからといって何一つ変わるわけではないが、それでもずっと以前、原稿用紙で書いていたころのほうが、何となく充実していたような気がしたからだ。
書き始めは前にも記したような記憶があるが、とても遅かった。そのせいでもないだろうが、何かに憑かれたように書きなぐった。
書いては応募し続けた。結果も出た。いきなり「北日本文学賞」の選奨をとり、続けて、いまはないが「小説ciub新人賞」の最終に残った。それはしかし、編集に呼ばれ、数か所書き直してくれれば掲載すると言われたが、当時は気が滅法強かったので、
「来年応募してとるからいい」と断った。今思えば編集のいいなりになっていればよかった。翌年には最終に残ったのよりずっといい、と思っていたのが、一次にも掠らなかった。
次には、これもいまは潰れているが、「新風小説」というエロ本の月間雑誌が新人賞を募集していたので、それに応募し、大賞受賞となった。この賞は三回で打ち止めとなった。私は第二回。第一回が北原双治氏で、第三回が、北山悦史氏。受賞後、その雑誌に十数本、短編を載せてもらった。それが原稿料をもらったはじめてだった。
その年は当たり年だった。祥伝社のウェブで、やはり募集があり、そこでも最終に残った、普通、それで終わりだが、編集長から誘われ、そこでも二十本ぐらい短編を載せてもらった。ここの編集長にはお世話になった。八年前の大津波のときには、わざわざ三陸の離島までお見舞いに来ていただいた。
まだある。「週刊実話」という週刊誌がある。そこでもシニア官能? だったかの募集があり、応募すると二番手に入った。
なんとなく充実していたような気がする。原稿用紙に書き、ワープロで清書していたころであり、途中からパソコンに替えたころだった。
完全に原稿用紙を棄て、パソコン書きになり、原稿をメールで送り始めたのは、キルタイムあたりからだろうか。
興味のある方はいるだろうか。すぐにではないが、ツテも何もなく、キルタイムで書くことになった経緯など、ポロッポロッと書いていこうか、と思ったりしている。