小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

官能文庫本。

 暮れだ、新年だとはいっても、単に一日の繰り返しでしかないが、
御年91歳の婆ちゃんが、姉さ被りで脚立にのり、大掃除しているのを見て、余りしたことのない自室の掃除に取りかかった。
自室として二部屋使っているが、1日で二部屋は絶対無理なほどに散らかり放題なので、まずは書斎として使っている部屋の整理にとりかかった。
夕飯後すぐに始めたのだが、たったいま(23:30)、やっと終わった。
だが、終わったというだけに過ぎず、見回してみれば、本棚がほんのちょっと整理できたに過ぎず、愕然としている。

 本の整理には悩む。欲深いというか未練たらしいというか、棄てる、ということが出来ない。
商売柄、官能本はよく買っているが、ざっと見て500冊以上はある。ほぼ、参考本として読んでいるのだが、500冊以上読んで、自分なりに咀嚼し、
それらを目指して自分の本になったのが、文庫本で20冊弱。携帯小説は三本ほど。それに電子と雑誌掲載が20作ぐらい。
まだまだ少ないが、これはしかし、本棚に並んでいる本たちのお陰、だと思わずにはいられない。

 整理していていると、懐かしいのも出てくる。以前、とはいってもだいぶ前だが、「小説club」という雑誌があり、それの新人賞で最終に残ったときの、選者の選評を久しぶりに読んだ。宇能鴻一郎小林久三志茂田景樹の各氏。その中でとくに、志茂田景樹さんの選評がとても褒めてくれていた。
残念ながら受賞には到らなかったが、そのときの受賞者が松岡弘一という人。今日までは忘れていたのだが、興味を持ち検索してみれば、かなりの本を上梓している。
やはり、受賞する人ってのは凄い、と改めて思う。
 まだあった。やはり同じ年だった。いまはあるかどうかも知らないが、「平和出版」という出版社があり、「新風小説」という官能小説の週刊誌仕立ての月刊誌があった。その本で「官能小説大賞」なるのものを公募していて、応募した。幸運にも大賞を受賞した。その賞は3回で終わった。第1回が北原双治さん、第2回が私で、第3回が北原悦史さんだった。その受賞作が載っている雑誌を、これも久しぶりに見て、まだ熟年に足を突っ込んだばかりのころの自分を思い出していた。そうだ。受賞後、数作の短編を、その雑誌に載せてもらった。それを最後に、数年、官能小説を書くのを中断していた。

小説clubだが、当時、小説を書き始めた年だった。最終に残り、出版社に呼ばれた。編集長と面談した折、「このまま何もなしでは惜しいので、先生がたに指摘された箇所を書き直せば、掲載しましょう」と言われたことを思い出す。だが、そのときの私はすでに熟年に達していたのにかなり生意気だった。
鼻っ柱が強く、「ケッ!!」という思いでいた。それがそのまま口から出た。
「いや、結構です。来年応募して受賞してからデビューしますので」
恐ろしいことを言ったものだ。むろん、翌年は掠りもしなかった。いや、同じレベルだったとしても、前年にそんな挑戦的なことを言われたなら、これはもう、向こうも「ケッ!!」となっているはず。
当時のことはいまでも後悔している。もしあのとき、編集長の言う通り、書き直し、掲載されていたなら、と……。

 うんうん、たまには掃除をするのもいい。活きのよかった自分を思い出すことが出来る。だが、苦い思い出のほうが多いのだが。

 それにしても、500冊以上の官能本。このまま置くべきか棄てるべきか。なやましい。