小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

応募の時期。

  九月から三月ごろまでにかけて、長短どちらも公募真っ盛りの時期なのかな。
地方も中央も、色んな賞が公募していて、まさかすべてに応募できるわけではないだろうから、
自分はどれに合うか、短いのがいいのか長いのがいいか、それとも地方文学賞に向いているのか、と悩みながら、
書き手はせっせと原稿の升目を生めているころだろう。

 私も同様、仕事である官能物の新作を書きながら、あれやこれやと考え、自分に合った公募を探し、
仕上がり次第、応募しようともくろんでいる。
 一応、太宰治賞へと思う原稿は仕上がってはいる。しかし、読み返してみると、どうも余りにも通俗小説的で、
太宰にはそぐわないような気がして、いまかなり躊躇っているところ。
 官能と並行しての作業なので、その都度、頭の切り替えに苦慮しながらの日々。いったい、どうなることやら。

 地方は北日本の締め切りが終わり、いまみんなが出そうと思っている賞はどれなのだろう。
立川が11月? だったかな。
 地方ではないが、中央の純文のど真ん中にある、「文學界」新人賞ももう少しだね。純文学はどうも柄じゃないので傍観しているだけだが、
知人友人には果敢にアタックする書き手も数人いる。

 どの分野でもそうだが、独創性を出すのって、難しいね。どんなに異色なのを仕上げようとしても、出来上がってみれば、
以前何らかで読んだような気になり、愕然とすることがある。
 第一いまは、突拍子もない作品を仕上げたとしても、テレビで取り上げられている、リアルな事件のほうが、
圧倒的な特異性を見せている。事実は小説よりも奇なり、だね、ほんと。

私を含めてのことではあるが、小説書きなど、仕事として目指すのではなく、あくまでも趣味の範疇でのことなら、
ずっと楽しめるのだろうね。
 万が一プロになれたとしても、年にコンスタントに作品を発表していけるのは才能に溢れている人だろうし、
また才能に恵まれていても、それが売れる作品を書けるか、というとそうでもない。

 純文界に詳しくはないけれど、少なくともエンタメ分野では、たとえ官能でも、数冊売れなければ干されてしまうのが現実。
だけど、商売として思えば、それは至極当然のこと。
 熟れなければ、どんなにいい本を出そうと、出版業界は行き詰るんだから、どうしても売れるものを書く作家が重宝されるのは必然。
けれど、これとて「運」が作用するよね。いまは「これ」が売れているけれど、1か月後には何が求められているのか、誰にも判りはしない。
謡曲でもそうだね。千昌夫の「星影のワルツ」など、数年はまったく鳴かず飛ばずで、だいぶ年数が経ってからじわじわと売れ始めた、と聴く。
それを思えば、いまたとえ売れていなくとも、やがては自分のも売れるかも知れない、とも思わずにはいられない。

 しかし、いまはそれ、勘違いなのかもね。何年も売れない作家を面倒みてくれる出版社など、ほぼいない。
その点、純文業界は違うようだけれど、でもそれにしたって、社内の他で稼いでいるから余裕があるのであって、単独でなど売れない作家の食い扶持を出すことなど不可能。
 でも、そんないまでさえ、いや、理由は判らないが、いま、作家をめざし、日々、執筆に励んでいる人の多さに驚く。

 こうして一服している間にも、途方もない数の人々が、書くことに没頭し、作家としての明日を夢見ている。
そう思えば、一服している時間に、こんなこと書いている場合ではないのだろうと思う。

 そういうわけで、夕飯までのひととき、もう少し、書き進めてみようかな。

 だけど、現実は写真の大波の壁以上に、突き破るのは大変そう。f:id:kugunarihama:20151018172909j:plainf:id:kugunarihama:20151018173040j:plainf:id:kugunarihama:20151018173607j:plain