小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

「北日本文学賞」。

 締め切りまで、いよいよあと一週間。
ネットでの仲間たちは、いまごろねじり鉢巻きで奮闘していることだろう。
 毎年のことだが、近々に仲間たちの中から受賞者が出るような予感に、一人、昂ぶっている。
 北日本文学賞。三十枚。
 この枚数で過不足なく書き切るってのはけっこうしんどい。油断すると長くなり、端折り過ぎると意味が通じなくなる。
 主催者は三十枚に拘っている。三十枚は、丁度新聞紙面見開き半分の枚数。
 理想的なのは、三十枚目最終行に「了」を打ったもの。枚数を重視しているので、ここだけはとくに留意したほうがいい。f:id:kugunarihama:20150824221134j:plain

 歌でもそうだが、どこかにサビ(山場)は盛り込んだほうがいいと思う。純文学臭の強い公募なので、淡々とした物語でもいっこうに構わないのだろうが、
しかし、過去の作品を読んでみると、やはり、三十枚の短さでも、読み手の五感を震わせる箇所がある。
 だが、あざといのは敬遠される。だから、難しい。f:id:kugunarihama:20150824020942j:plain
 淡々としたところと山場。その描き方の塩梅。難しいね。
 短編って、写真のようなものだと思う。小高いところにでも登れば、三百六十度の展望が出来る。けれど、写真ではそのすべてを映すことは出来ない。
 仕方なく、一部分をフレームの中に切り取る。
 が、それだけでは「いい写真、優れた写真」ではないだろう。その切り取った画を見て、三百六十度の展望が頭に浮かぶような写真。それが望ましい。
 短編もそうだと思う。光景の一部分をカットする。それを読み手が全風景を想像できるように書く。
 それが書き手にとっても読み手にとっても、小説の醍醐味なのだと思われる。f:id:kugunarihama:20150825100700j:plain

 だけど、理屈ではわかっていても、それは至難の業だ。もしそんなことが簡単に出来るのなら苦労はいらない。すぐにでも作家として飯が喰える。

 地方文学賞だからと、侮るなかれ。三十枚はもっとも難しい枚数だと、大作家も言っている。主催者もその難しさを熟知している。
だから、受賞者には副賞も含めて、最大限の待遇をしてくれる。

 あと残り一週間。ここまで来ると、「まだ一週間ある」ではない。もう「一週間しかない」と思い、自作品をもう一度熟読する時期だと思う。