小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

お盆ーー都会への郷愁。


 ついさっきまでテレビを観ていたら、今日が一番の帰省ラッシュとのことだ。
それらを観ていて、自分が都会に棲んでいたころを思い出す。
 高校が仙台だったので、16歳から島を離れたことになる。
 高校を卒業して、半年ばかり島に帰ったが、すぐに島を離れ、三浦三崎、横須賀の佐島、新宿、浅草、葛飾の立石と短期間であちこちに移り、ついには川崎に下り、42歳まで都会で過ごした。
 実に26年も島を離れていたことになる。
 その間、何度帰省しただろうか。記憶は定かではないが、おそらく3回か4回、ぐらいだろうと思う。殆ど帰らなかった。
 都会の水が合っていたのだろう。普通、都会に長く棲んでいると、故郷が恋しくなるものらしいが、ほぼ、そんなことはなかった。事実、島に戻ってからも24年経つが、時折、都会に郷愁を感じることがある。
 向こうに棲んでいたころは、あのビル群の中で一生を終えようと本気で思っていたのだから、人の運命なんて、いつどのように変わるかまったく判らない。
 こう書くと、お盆やお彼岸にも家に帰らず、墓参りもしないで罰当たりな奴と思われそうだが、つねに母親の遺影だけは肌身離さず持っていた。
 当時はいつも気持ちの中に、亡くなった母親に手を合わせている自分がいればいい、と思っていたが、いま振り返れば、やはり、お盆ぐらいは帰省すればよかったのかな? と思うときもある。


 いま、島を歩いても、同級生もあまり見かけない。仲のよかった悪友たちが男女を含めて7人いたが、その中で男女一人ずつが亡くなり、他はあちこちに散っていて、いまではとんと会う機会に恵まれない。
 都会生活が長かったので、友人知人も田舎よりは東京川崎のほうが圧倒的に多い。いまでも浅草で仕事をしていた当時、二十代前半に出会った職場での仲間の一人は、時折連絡をしてくる。
 川崎での飲み仲間=草野球仲間たちはずっと賀状をくれる。
 お盆の季節がくると、過去のいろんなことが、鮮やかな色彩のままにf:id:kugunarihama:20150813003659j:plain、脳裏を埋め尽くす。けっこう、充実した過去が、いつまでも、大事な宝として、私の中で耀いている。