小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

最低な今日。

 
今日は最低の一日だった。開店以降、最も暇な一日だったような気がする。
だが、すぐ眼の前の浜は今年一番の賑わいを見せていた。
 超ビップな客? が来ていたからだ。単なる遊びでの来島だというが、五、六十人の取り巻きを引き連れてのそれはまさに、公人そのものだろう。昨年も来ていた。画に描いたような、大名遊び――物見遊山。
 その個人的な? お遊びのビップを歓迎しようと、島内の太鼓愛好者などが要請により集い、太鼓を叩いたりフラダンスを披露したり、さらには地引網体験などもサービスしていた。文字通りの太鼓持ち。
 昼食は二軒ある海の家の一つが貸切となり、バーベキュー。夜はその海の家と同じ島の名士が営むところでの飲食の集い、ということらしい。f:id:kugunarihama:20150728195851j:plain


 いずれにしても、近隣で小さな店を営む者にとっては忌々しい一日だった。
我が国で一番エライ人の奥様が来ると、単なる五、六十人引き連れた、個人的バケーション? だとしても、政治的色合いを感じてならない。
 富裕層の主役たちは復旧復興が遅々として進まない島に入り、散財することに意味を見出しているのかも知れない。それはあくまでも推測ではあるが、その散財が昼も夜も一か所では何の意味もない。
 スケールは違うが、都心の特権階級と片田舎の類似階級の融合にしか思えない。島内の小さな食堂の殆どが、その時間帯、かんこう鳥が鳴きっ放しなのである。

 どうせ政治的意味合いを持つのなら、島内の底辺を視察してほしいと思うし、本当に個人的なバケーションだというのなら、歓迎式典などを固辞し、慎ましやかに自然を散策し、旅の実感に浸るべき、だと思うがどんなものだろう。

 最も癪に障るのは、ファストレディが数十人を引き連れての来島となれば、個人的バケーションではなく、公人そのものだろうに、島の特権意識旺盛な奴らとの間で、他の島民などどうでもいいように、今日という日を迎えるために隠密行動で一切を進めて来たことだ。
 まぁ、それもこれも「引かれ者の小唄」「負け犬の遠吠え」と言われればそれまでだが、しかし、近隣の観光地、たとえば唐桑や南三陸などは一丸となり、誘客に懸命に取り組んでいるいま、桁外れな一人のビップ以上に、どうしたら明日以降、島に誘客することが出来るかを、寝食を忘れ考えることこそが、現在、島を仕切る者たちの最大の仕事、だと認識を新たにしてほしいところだ。
 政治的ビップなど永遠ではない。しかし、島を訪れる一般客は代が変わっても永遠に来訪してほしい。どっちが大事か? それは自ずと判ることだろう。
 島はいまのところ、近隣と比較して、訪れる一般のお客様に対する、なにごともしていない。