小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

這い上がる。(旧題「なぁに、明日はすぐそこ」)→北日本文学賞玉砕作品。

f:id:kugunarihama:20150705081728j:plainf:id:kugunarihama:20150705081755j:plain五月も一週間を残すだけとなる。
 日中は夏を思わせるように暑いが、朝晩の冷え込みは依然として厳しい。部屋の片隅には扇風機と並べて、まだストーブを置いていた。
 あれから二ヵ月半が経つ。町は落ち着きを取り戻しつつあるが、おそらくそれは錯覚で、環境に馴れた、というだけに過ぎないのだろう。少なくとも私にはそう思える。
 当初は失ったものの多さに愕然として、衣服の汚れもそのままに町を浮浪者のように彷徨っていた。すれ違う誰もが同じで、数日後にはすべてに神経が順応し、眼に映る光景に違和感さえ覚えなくなっていた。
 逆に二ヵ月半前までは人々に蔑まれていた路上生活者のほうが、小綺麗な装いで疲弊した人々の中に紛れ込み、それまでは口にしたこともないような救援食料の配給を受け取る列に並んで嬉々としていた。
 そんなことを思いながら、物資を手に帰路につく。途中、切り立った崖の上に建つホテルよりもまだ高い巨大クレーンに眼を瞠る。津波に打ち上げられて広い道を塞いでいた大型鮪船を、大人の腕ほどもある無数のワイヤーで吊り上げ、海に戻す作業をしていた。
 そのクレーン船すれすれに、フェリーが湾の奥にある発着所へ舳先を向け、通り過ぎていく。腕時計を見た。一時間後、あのフェリーに乗り、店があった島へ渡るつもりだった。
 
港にはかつての景色は残っていなかった。遠くまで流されて、数日前に曳航されてきた浮き桟橋が、痛々しいままに近くを通り過ぎる船から生じた波に浮遊していた。連絡船の仮事務所で島までの乗船券を買う。
「先輩、店、残念なことなりましたね」
 後方からの声に振り返った。ヘルメットを被った汽船会社の社長が、微笑みながら近づいてくる。
「おう。これから見に行くところだ。それより、いい船捜して来たじゃないか」
「ええ。下関から無償で貸してもらいました」
 社長は三つ歳下だった。フェリーを含めて十艘あった連絡船のすべてを津波により消失した。急遽あちこちに働きかけて、何とかフェリー一艘を手配し、島と町との足を確保したことは新聞の報道で知っていた。
「店、また復活させてくださいよ。あのラーメンの味、こんなことで絶やすのは勿体ないですから」
「ああ。そのときは世話になる」
 こうして島へ渡ろうとしているのは、失った店の復興の可能性を探るためでもあった。社長に送られて船に乗る。客室の窓から土台が崩れた魚市場が見えていた。敢えて眼を逸らした。見るまでもなかった。あの日、その二階建ての魚市場の屋上で、一晩、湾内に広がった火の海の真っ只中で過ごしていたのだから。
 島の港に着いた。メールで連絡していたので、店をあずけていた亜紀子が車で迎えに来ていた。助手席に乗る。「自宅にですか?」と横顔を窺う亜紀子に、店へ行こう、と言った。
「まだ、あのままなんです」
 私は無言だった。津波の二日後に一度島に渡り、形の消えた店跡に佇んでいた。そのときの光景が蘇る。町だけではなかった。島も景色が歪んでいた。巨大な鮫に腸を喰い千切られたように、白砂の浜が三日月状の中央を抉られて陥没し、折れて倒れた松の木を海に溺れさせていた。
 店の跡地に立ち、周囲を見回した。亜紀子は素手で数個の瓦礫を取り除き、無傷なままの客がキープしていたボトルを拾い出し、汚れを前掛けの裾で拭き取っていた。
「本当に何もないなぁ」
「でも、今日もこうして一本、お客さんのボトルみつけました。毎日来ているんですけど、必ず何かが見つかるんです」
「さっき、祐一郎に言われた。もう一度店をやってくれって」
 町の港で会った、汽船会社の社長の名前だった。
「私も何人もの人に何度もそう言われています」
 店を失くしても他人事のような気持ちでいたが、再興を促す人々の声が琴線に触れる。
「どうするにしても、色んなものが片付いてからだな」
 どこまでも続く瓦礫の山を見ていると、亜紀子のため息が聴こえた。
「こんなに海が近かったんですね」
 海から店までは百メートルぐらいだろうか。その間には民宿や民家などがあり、海は見えなかった。それが今、すぐそこに砂浜を失った海が見え、潮騒が地鳴りのように響いて聴覚を震わせる。
「おふくろの墓まで送ってくれるか」
 唐突な申し出に、亜紀子は愕いたようだったが、
「自宅へはお墓の後ですね」そう言って車に向かう。
 亜紀子にとっては不意だったろうが、島に渡ったのは、店跡に立つことよりも、墓に行きたかったからだ。それはラジオで耳にし、新聞などで知った、あちこちで特例として行われた、土葬のニュースに触発されてのものだった。
 墓に着くまでは無言だった。かなり旧式の軽自動車で、CD装置はなく、カセットテープから流れる歌手の声が時折途切れていた。
 
 肌寒いが天気はよく、墓の周囲の雑木林を、鶯の声が駆け抜けていく。墓の台座のひび割れから、茎の硬くなった蕨が一本のびていた。
地震後に温泉の泉質が変わり、透明な湯が黄色に変色したり、ミルク色の湯が透明になったりと、地中はあちこちで著しく蠢いているようなのに、墓の周囲は静謐そのもので、地表はなにごともないように季節の移ろいを描いている。
 備えてある竹箒で墓一面に敷き詰められている松の落ち葉を掃いた。周辺に生えている名も知らない花を一輪摘み、供えた。それだけだった。
 たまに島に渡っても、墓を訪れるのは稀だった。そう思いながら、型どおり手を合わせて眼を瞑る。蘇るのは母の顔だった。もう何十年も経っているので思い出すことも余りなかった母の顔が、被災者が土葬にされる画を見た瞬間から、脳裏を占めてはなれない。
 眼を開ける。まだ落ち葉を拾い続けている亜紀子の姿が母に重なる。
「一生懸命に拝んでいるって感じでしたよ。何かあったのですか」
 心配そうに見つめてくる亜紀子の眼から逃れ、眼下に穏やかに拡がる海に視線を移した。
「土葬にされているニュースを観たか」
「ええ。昔はこの島でもそうでしたね……」
「そうだ。俺のおふくろは土葬だった」

 中学一年のときだった。チリ地震津波三陸一帯が襲われた直後のことで、母はまだ三十五歳だった。遠洋に一年近くも鮪を追いかけている父親の代わりに、母は大黒柱となり家を護り、私の世話に明け暮れていた。
 新暦なら二月に入ったばかりだった。当時は旧暦で、十二月二十七日の夜だった。父が長い漁から三浦三崎に入港した。例年なら母は私を連れて三崎まで行き、父を出迎え、一週間ぐらいは家を空ける。だが、旧正月がすぐそこまで迫っていてはのんびりすることも出来ず、母は私を叔母にあずけ、一人で夜行列車に乗り、三崎に向かったものの、一晩を過ごしたただけで慌しく島に戻った。
 鮪の水揚げが済めば、父も数日後には家に帰ると、母は忙しない長旅での疲れた顔もそのままに私にそう言う。時間がないからと、その日のうちに正月用の餅をつく準備をし始めていた。途中、珍しく肩が凝る、と訴える母の肩を十数分揉み解そうと試みたが、力自慢の私の指を弾き返すほどに、その肩は石のように凝り固まっていた。
「凄いなぁ。薬呑め、母ちゃん」
「莫迦だなや。肩凝りが薬呑んで治るか。なぁに、一晩寝れば直る。おめえ、明日学校だろう。もう、寝ろ」
 世の中は新暦で動き始めていても、島の行事は旧暦のままだっだ。当然、学校はすでに冬休みは終わっていて、三学期が始まっていた。私が布団に潜っても、母はまだ、正月用の準備に余念がない。
 母の異様な肩の硬さを訝りながらも、私はいつの間にか深い眠りに落ちていて、母がいつ寝たのかも知らないままに朝を迎えた。眼醒めると、すでに台所から母の使う包丁の音が聴こえていた。起きてそのまま庭に出る。母が茶の間にご飯と味噌汁を運んでいた。庭の隅にある鶏小屋に入ると、産み立てでまだ温かい卵を二個持ち、そのまま茶の間に直行した。朝ご飯のオカズは、卵と海苔に決まっていた。
 柱時計を見ながら、わらわらと喰い始める。
「母ちゃん、何して喰わねえ?」
 少し味噌汁に箸をつけただけの母の顔が気になった。
「顔、蒼いぞ」
「少し、頭ぁ、痛い」
「肩はどうだ?」
「肩も、痛え」
 急いでご飯を平らげ、母の後ろに膝をつき、両肩に触れてみた。指先に力を籠めて押してみる。昨夜よりは指が喰い込んだ。ため息が聴こえた。
「何ぼか効いたか」
「ああ、効いた。すっと楽になった」
「頭ぁ、風邪かや」
「ああ、おまえが学校さ行ったら、風邪薬ば呑んで少し寝る。ちょこっと一休みだ」
「寝るって、大丈夫かや。ちょこっと一休みか、本当に? 病院さ行げ」
 朝起きて、再び寝る母など記憶にない。風邪だというが、触れた額に熱は感じられなかった。島には老いた医師が一人いるだけだった。
「なぁに、大丈夫だ。おめえが帰るころには治る。父ちゃんも明日明後日には帰るし、正月だし、いつまでも寝てられねえ」
 その朝はじめての母の笑顔を見て、私は学校に向かい、四時間目後のあのときまで、母のことは忘れ、授業やクラスメイトたちとの時間を愉しんでいた。
 四時間目が終わり、担任の先生が教室に戻り、全員での昼食時間となる。一クラス五十人以上の弁当が温められている暖飯器から、沢庵の匂いなどが漏れ出していた。それぞれが弁当の蓋をとる。私のは削った鰹節をご飯に敷き、その上に海苔を二乗重ねただけのシンプルなものだった。
 弁当を喰べ終えるころ、教室に近づく忙しない足音に、まだ大口を開けて食事中だった担任が慌てて立ち上がる。廊下に出ると、急ぎ足で近づいて来た数学担当の教師と何やら話し合っていた。珍しいことなので、全員がガラス窓越しに見える二人の教師を見つめる。話を終えても担任教師は教室には戻らなかった。廊下から窓を開け、顔だけを出して手招きされたのは私だった。不意の胸騒ぎにうろたえた。一瞬にして、得体の知れない不安のようなものが私を蝕んでいた。
「母ちゃんの具合が悪いらしい。隣の人が迎えに来ているから、すぐに帰れ」
 それまで忘れていた母の蒼白い顔を思い出す。私はカバンもそのままに廊下を走り、階段を駆け下りていた。校庭に出た瞬間、愕きのあまり、その場に佇む。待っていたのはたしかに隣の人だったが、そこには島に一台しかないタクシーがドアを開けて停車していた。私は呆然として一歩を踏み出せなかった。乗りたくてたまらなかったタクシーだったが、縁のない代物だった。
 隣の人は何も話さなかった、私も無言のまま、はじめて乗ったタクシーの中で、何故か上質なシートの感触に陶然となり、眼を瞑ったままだった。
 
 タクシーが停まり、降りるよう促されても降りなかった。妙な気分だった。まだ、はじめて乗った車のシートの感触からはなれたくなかったのだ。
 早くしろ、と隣の人の手が肩に触れる。幼いころに海に突き落として、強引に泳ぎ方を教えてくれた、荒々しい気性の印象しかない男の手の優しさが不気味だった。
 タクシーから降り立つとスイッチを押されたように気が急いた。足先を見つめながらまっしぐらに走った。だが、開け放たれていた玄関を見た瞬間、足が竦んだ。近所の人々がぎっしりと炬燵を囲み、叔母が私を出迎えた。
「何、した? みんな集まって。母ちゃん、どこさ行った?」
 茶の間の隣の座敷を仕切る襖が閉じられていた。鼻を突く線香の匂いを感じながら、足は庭に根付いたように、玄関を跨ごうとしなかった。炬燵に犇く近所の人々の眼が集まる。
「さぁ、家さ入れ。母ちゃんに会うべし」
 私は動くのを愚図る牛のように、叔母の手に曳かれた。
 座敷に横たわる母は、薄眼を開けて私を見ているようだった。
「俺ぁがお茶呑みに来たら、庭まで鼾が聞こえていてなぁ」
 私が母の枕元に坐った瞬間から、大人たちは葬式の準備に動きはじめていた。母はまだ、三十五歳だった。
 
 父は一日早く帰郷した。電話での連絡では母の死を告げなかったようで、父は駅まで迎えに出ていた私の顔を見て、はじめて異変を悟ったようだった。
「死んだのか?」
 一言で質した父に、私を連れて迎えに出ていた近所の人がうなずく。父も無言のままため息をつき、港までのタクシーの背凭れに身をあずけた。私にとっては二度目のタクシーだった。まだ現実が夢のような気分のまま、私はそんな不埒なことを思っていた。
 
 葬儀の日、昨夜降った雪はまだ残っていたが、空は快晴で、そのぶん、風が肌を突き刺すように寒かった。私は庭に出ていた。
 縁側を隔て、障子がきっちりと閉められている座敷では、母を送る準備が進められていた。父だけがその中にいて、他は近所の人々だけだった。晴天なのにまた雪が舞いはじめた。庭に集まった人々が身を縮めて寒さを凌いでいる。厭な気配を感じた。直後、異様な静寂に包まれた。
 ボキッ、ボキボキッ。
 思わず耳を塞ぎながら、しかし、無意識にその耳を欹てていた。
「何だ、あれは?」
 訊いても傍らに立つ叔母は、眼を腫らして、私の肩に縋りつくだけだった。座敷からお経のような呪文のような声が重なり合って聴こえてくる。ほんの少し障子が開けられ、中から顔を出した老人が、棺桶の傍に立つ男たちを手招きした。男たちは棺桶を慎重に持ち上げ、座敷に運んだ。障子はすぐに閉められた。しかし、私は周囲に支えられて敷布団に正座するように体を折り曲げられ、帯で体を結わえられている母の姿を眼にしていた。
「母ちゃんの足の骨、折ったのか」
 数年前に祖父を失っていた。そのときにはどうしたのか。まったく記憶になかった。
 棺は不恰好な桶だった。知識としてはあった。座棺だったのだ。それで母の両膝の関節を折り、正座させた。
 雪は止んでいた。空は相変わらず水洗いしたような青だった。泪は出なかった。ただ、耳がはっきりと記憶した母の骨の音に、私は真冬に裸でいるように、激しく膝を震わせていた。
 
 耳には今でも母を折る音が鮮明に残っていた。私は墓のてっぺんを撫でながら、語り部のようにそのときの光景を言葉にしていた。
 あのときの私のように、亜紀子は全身を小刻みに震わせていた。
「だから、墓参りしたんですね。津波で亡くなった人々の土葬のニュースに、お母さんを思い出したのですね」
 母の死はチリ地震津波に襲われた年で、五十年も前のことだった。この三月の津波は二ヶ月半前でしかない。それなのに、つい数日前に亡くしたように、母の記憶が生々しい。
「同じ土葬でも、今度のは遺体を寝かせる形になっていたな」
 火葬になってから、棺に座棺用の形はない。
 十年前、墓を建て替えるにあたり、骨を掘り起した。そのとき出てきたのが、母が亡くなる直前の航海で、父が土産に買って来た、ブランド物の婦人用腕時計だった。土の匂いを清め、ねじを巻くと当たり前のように動いた。
 それは叔母が所持していたが、数年前、父が鬼籍に入った直後、私の手に戻った。母とともにこの世から消えたはずの小さな腕時計が、数十年前の母の死からひとっ飛びに時空を駆け、今を刻んでいる。その今は津波により、道を歩いているだけで遺体の一部を眼にするような環境にある。
「帰ろうか」
 残っている水を、墓の土台のひび割れから生えている蕨にかけている亜紀子に声をかけた。
 
 山の中腹にある家は、まるで別世界のように何ひとつ変わっていなかった。
 ただ、ライフラインだけが不通になり、援助物資である飲料水が入ったペットボトルを抱えるようにして茶の間にいた義母が、ぬうっと入っていった私の顔を見て愕いていた。
 義母も数日前までは、避難所に指定されている公民館での生活をしていた。
 仏壇に線香をあげてから、義母が淹れたお茶を呑む。津波後の町の様子を話し、島の状況を訊いた。墓に参ったことは言わなかった。義母の心配は、公民館での一ヶ月余りを過ごして帰宅してみれば、孫のように可愛がっていた猫が姿を消していることだった。猫は二、三ヶ月後にひょっこり帰ることがある。そう私に言われて疑わしそうに見つめてくる顔が、飼い猫そっくりであることに吹き出しそうになる。
 自然とは強靭なもので、四月末になると津波で薙ぎ倒されていた桜が見事に花を咲かせていた。義母もいつの間にか夢から醒めたようにマイペースの日常に戻りつつある。
 町へ戻ろうと立ち上がり、玄関に歩く私をちらっと見ただけの、まさに猫のような眼がそれを物語っていた。
 庭に出て、離れの二階にある自室に寄った。机の抽斗から母の形見となった腕時計を出し、ねじを巻き、時刻を合わせてからポケットに入れた。
 
 帰りは汽船会社が船を調達するまで、臨時に運行していた個人所有の船に乗る。殆ど島の船を流失した中で奇跡的に残り、津波直後には文字通り、島と町との架け橋となった。家を流され、避難所生活を余儀なくされながら、この船長は日々奮闘していた。
 馴染みだったので、軽く挨拶しただけで、出港までの数十分を、岸壁に立ち待つことにした。船長と話したかったが、テレビの取材クルーに囲まれ、カメラに舐めるように見つめられながら、インタビューを受けていた。被災後は何度も見かける光景で、私も一度、町でカメラを向けられ、取材されたことがある。
 二人のカメラマンがいて、一人はインタビュアが質問する船長を接写し、一方は取材陣を取り囲む、島の人々の姿を捉えていた。
「船長、あの大津波で家を失ったそうですが、この船は無事だったようですね」
「家はどうにもならん。だが、船があれば、家はまた建てられる。だから、必死で沖へ逃げた」
「あの津波の海を、ですか」
「そうだ。俺の後をついて来た船もいたが、でっかい波に姿を消した。悔しかったろうに」
 執拗にマイクを向ける取材陣に、船長は朴訥とした口調で生真面目に応えていた。
「あれから二ヵ月半。海も昔の静かな海に戻りましたね」
「莫迦言うでねえ。海はまだ、あのときのままだ。だから俺は、普通に走れば十数分で着く町までを、三十分以上もかけて人を運ぶ」
意味が理解出来ないらしく、インタビュアが説明を求めるように船長の顔を窺う。
「まだ、助けを求める人々がいっぱい海ん中にいるからだよ。ゆっくり走っていると、拾い上げてくれと手をのばしてくる仏がまだまだいる。その人たちを船に助け上げて島の土に還す。そうすることが海で死にかけて生き残った者の務めだ。最後の一人が見つかるまで、俺の気持ちの中での海は少しもあの日と変わらん」
 私は急造のタラップをのぼり、客室に入った。円窓から腕時計を気にしながら、まだ取材を受けている船長の横顔が見えていた。
 眼を瞑る。周囲に坐る島民の話し声が聴こえてくる。
「この前も一人、あの船長さん、遺体ば船に引き揚げたんだよ」
 私は眼を瞑ったままに、人々の声を聴いていた。
「十分ぐらい走ったところでエンジンば止めて、俺ぁたちさ、ちょっと待ってけろって言って」
 背筋が総毛立つような気がした。怖かったのではない。まるで物の本で読んだ、戦地で命を散らした戦友の骨の最後の一本まで捜し求める責務を、今生かされている自分に科しているような、船長の覚悟に身が軋んだ。
 海に浮かぶ遺体を見つけると、船長は迷わず船を停め、顔見知りの遺体ならその海面に、名前を記したビン球を墓とは別の墓標として浮かべる。待ってろ。今すぐに助けてやるからな、と何度も浮いた遺体に語りかけながら、素手で船上に引き揚げて、束の間の供養の後に、再び船を走らせるのだと、人々は語り合う。
 そうした自分自身への決め事を守り、万が一にでも、浮いてきた遺体に船を当て、疵つけてはならない、という信念のもとに速度を弛めての走行を義務づけている船長の胸中など、何度説明しても取材陣には理解出来ないだろう。私には何となく判るような気がした。
海で生きる者にとって、海で死ぬことは戦死に似ている。だが、命を奪われても島の人々は海を憎まない。船長の行為は、仲間への鎮魂と、また明日から挑む海を懸命に宥めようとしている姿のように思えてならなかった。
 取材を終えた船長が船に戻った。テレビスタッフは島に残るようだ。
「大変ですね」
 一言声をかけてみた。苦笑が返ってくる。
「奴らも仕事だからな。毎日取材が押し寄せる。付き合うのも復旧への一歩だろうから」
「今日も見つかるといいですね」
 それだけで通じたようだった。
「ああ。何とか最後の一人まで助けてやりたいものだ。本当は俺なんかより、家族に見つけてほしいだろうが」
 船は岸壁をはなれた。ゆっくりとした速度だった。津波により風景の変わった島の港が、少しずつ遠ざかる。
 船長は舵を息子に任せて、船の最前部に行き、じっと海面を見つめたままだった。あちこちに海中に没した船の一部分が見えていた。
 何かがあれば素人の私でも見つけられるように、凪いだ海が拡がっている。漣一つなかった。陽射しが暖かい。ついさっきは寒気を感じた背中に汗が浮いていた。
 ポケットを探り、母の時計に触れた。動いている様子が指に伝わってくる。
 
 季節外れの台風が沖縄を襲い、太平洋を北上しているようだ。その影響で、昨夜から風雨が強く、町に借りているアパートを覆うように茂る木々が激しく鬩ぎ合っている。千切れるように翻る枝葉が悲鳴をあげていた。降り続ける雨が地面に跳ね、飛沫を煙らせ、前方を霞ませていた。車でもうひとつの仕事場だった場所に向かった。島の店はシーズンオフに入ると亜紀子に任せ、私は町のホテルが営んでいる飲食店で働いていた。そこも復旧出来るのかどうか、気になるところだった。
 広い駐車場は自衛隊の車に埋め尽くされている。被災した一階全体の瓦礫を手際よく片付けていた。
 散乱した夥しい瓦礫の破片を踏み越えながら店への階段をあがった。仕事場であった二階にまで嵩を増した海が、店内の床に十センチぐらいのヘドロを撒き散らしていた。
 店に入ると同時にメールの着信音が鳴る。十日ほど前、他所でやり直したい、と思い切って沖縄にある避難民受け入れ施設に、夫と子どもとともに飛んだ、元部下である宏子からだった。
「心機一転と思って沖縄に来てすぐ、この季節外れのでっかい台風。どこに行っても安全なところなどないんですね。それとも、津波で打ちのめされた故郷を見棄てた私への罰なのでしょうか、あの台風は……」
 眼の前にいれば、逃げ出した罰に決まってるだろう、と大笑いしたくなるような文面だったが、読み返してみれば、彼女の正直な今の心情が短い文に凝縮されているような気がしてならなかった。
「誰も、罰を受けるようなことはしていない。気楽に頑張れ」
 そう返信し、台風一過の空を想像してみた。沖縄の空の色は知らないけれど、陽の匂いが溶け込んでいるような気がした。
「そうですね。昨日の嵐が嘘のようないい天気です。そっちは相変わらず、なんでしょうね」
 すぐに返信が寄せられた。たしかに相変わらずだった。歪んだ風景はそのままにあり、残っている建物の枠組みも日を重ねるごとに立ち腐れしていくような光景が人の眼を拒む。
ただ、数時間前までの台風の名残りの風雨が弱まり、風向きが変わると、どんよりとした分厚い雲の薄い部分が陽光の切っ先で削り取られ、金色の光を海面や地面に跳ねさせる。
今日も空高く前足をあげた巨大クレーンが、路上を塞ぐ船を海に戻していた。眼の前を島へのフェリーが通過していく。
波が岸壁にぶつかり、木魚のような澄んだ音を響かせていた。フェリーと交差して、速度を落とした臨時船が町の港に近づく。船長はやはり、最前部に腰を落ろし、海面を見つめていた。
 咥えていた煙草を消し、ホテルに向かった。車を降り、裏口から中に入ろうとしたが、正面玄関のほうから人々のざわめきが聴こえ、覗いてみた。裏道を来たので気づかなかったが、ホテルの車寄せまで続く道に百メートルぐらいの人の列が出来ていた。
(そうか……)
 迂闊にもホテルの一角が、津波で流失したハローワークの仮施設になっていることを忘れていた。見知った顔が数人並んでいた。後方に並ぶ亜紀子の姿が眼に入る。近づいて肩を叩いた。愕いた顔が直後には笑顔になり、促す私についてくる。
「凄いですね。これじゃ、私のようなおばさんがありつける仕事などないですね」
 人の列を見つめる亜紀子の自嘲気味な微笑に応えたかった。
「そんなに卑屈になることはない。俺も仕事を失ったようなものだ。そうなれば、また店をやるしかない」
 見つめてくる瞳の耀きが眩しかった。島に渡って流失した店を眼にしてから、ずっと考えていたことではあった。
 生き残った者の務め。
 臨時船の船長の一言が蘇る。船長は日々、これからの海との折り合いかたを探そうとしている。
 私も同様だった。舳先に立ち、前方に浮く何かを探し、見つけなければならない。探すのは船長ほどには難しいことではない。店は跡形もないが、すべてが頭の襞に刻み込まれていた。亜紀子も訪れる客の顔の皺の数まで記憶している。
「すぐにとはいかないが、そう遠いことじゃない」
 宣言することで自らを鼓舞しようとしていた。
「ついさっき、遠い沖縄に移住覚悟で行った元部下からメールがあった。昨日の台風にもろに襲われて、この町から逃げた報いでしょうか、とあった」
 亜紀子は無言のまま、束の間、眼下に見える海のほうを見つめていた。
「その人、一歩踏み出したんですもの。今日にはもう、歩き始めているように思います」
 私はうなずいてポケットに手を入れた。母とともに死の世界の土に眠っていた腕時計に触れる。眼醒めた直後には、数十年の時を蹴散らして明日を刻もうとしている動きを改めて感じた。           (了)