新作。
16作目の新作が、8月に刊行されることに決まった。毎度のことだが、決まるとやはり、ホッとする。前作(現在発売中」が3月に刊行しているので、4カ月ぶりとなるが、このペースを保てるなら、年に3冊はいけることになる。
本音は3か月に一冊。年に4冊刊行したいところだが、出版界の現状を思えば、そう贅沢も言っていられない。上々の部類だろう。
以前、これまでの経緯に少し触れているが、官能物とはいえ、一冊500枚近い枚数を書き切るのは生易しい作業ではない。
若いころならいざ知らず、今は頭よりは体力勝負。執筆とは肉体労働なのである。
これまで様々な担当者に鍛えられてきた。幸か不幸か、気はめっぽう強いので、めげたことはないが、怒りまくったことはある。
現在の担当者にはむろん、世話になりっ放し。しかし、思い返してみて、最も、小説の結構などについてとことん教えられたのは、祥伝社の某編集長だろうか。
この人、3・11の大津波の際には、わざわざ気仙沼まで被災見舞いに駆けつけてくれた。
祥伝社との係りは、前にも書いたかも知れないけれど、応募からだった。最終選考に残り、受賞には到らなかったが、後に連絡をくれた。webで書いてみないか、と誘われた。
むろん、書いた。それから十数作、四十枚ぐらいのを書かせてもらい、その都度適切な指導を受けながら、webに掲載させてもらった。
唯、残念なことに、その人、栄転により担当を外れてから、依頼が少なくなった。このように、どのような編集者が担当になるかで書き手の明日が決まると言っても過言ではない。
今日の最後に、宮本輝さんの言葉を記したい。
輝さんとは北日本文学賞で選奨をいただいた折に、お話させてもらった。関西弁のとても気さくな先生だった。授賞式から数年後、なかなか一般小説では認められず、輝先生にメールしたことがある。
一般小説への希望を棄てられないでいるが、オファで書いているとはいえ、このまま官能物を書き続けていていいものだろうか。それとも、きっぱりと打ち切り、一般小説応募に向けて邁進したほうがいいのかどうか。
もう記憶も薄れているが、そんな内容のメールだったように記憶している。
輝先生の返信はシンプルなものだった。
「いま認められているものに邁進しなさい」
そうあった。その一言で吹っ切れたような気がした。むろん、一般物もあきらめたのではないが、まずは依頼されたものに没頭する。
それから数年。今なお、年に数本、一般物に応募し続けながら、年に二本から三本の、官能物の依頼原稿に取り組む。
将来、万が一にでも一般物の作品が認められても、このスタンスは多分変わらないだろうと思う。
どんな分野だろうと、一人の作家には違いない。そんなことを思いながら、今日もパソコンの前に腰かけ、老骨に鞭打っている。