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小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

主に短中超編の、埃をかぶっている小説を発表しようと思ってのブログです。よろしくお願いします。

毀れた羅針盤(30枚ぐらいかな?)

 昨日、富士山が世界遺産として正式に登録された、という報道がテレビを独占していたが、今朝のカーラジオから流れてくるニュースも、それに関するものが多かった。早朝五時半。普段なら、この時間に出勤するのだが、昨夜は大潮で道が冠水し、仕事場である小さな港町のホテルに泊まった。

 今日は休みで、仕事場からの朝帰りとなる。ホテルを出て車で数分走ると町に入る。唯、二年前の大津波により町跡しかなく、アパートのある町へ続く、国道四十五号線が広大な原っぱとなった大地をくねりながら伸びているだけだった。その国道は朝から、復興ビジネスに携わるダンプカーや大型トラックなどが、現場に向けて土煙をあげて行き交っていた。車で片道四十五分の距離。もう、その距離を通うことを強いられてから二年になる。富永祐一郎は海がすぐそこに見える、坂とカーヴの多い道を走りながら、あの大津波の光景を昨日のことのように鮮明に思い出していた。それは海と共に暮らす以上、何度も蘇る光景だった。

 大津波により、すべてが狂った。いや、まだこうして生きているだけ恵まれているのだろう。車を赤信号で停め、左右を見廻した。もうすぐ七月になる。気候が暖かくなると、二年経つのに町跡からはまだかなりはっきりと判る異臭が立ちのぼる。数千の人が亡くなった。私の狂った羅針盤など、その人々の悔しさに比べれば、些細な苦悩に過ぎない。あの震災発生時まで健やかに一日を過ごし、誰一人として数分後に、いや、一秒前までは命を落とすことなど思いもよらなかっただろう。現実を把握出来ないままに命を落とした数百人は、二年以上過ぎ去った今も、依然として見つかっていない。そして、生き残った人々の中にも、当人たちには測り知れないドラマがあった。生き永らえたが故に、地獄同然の苦しみを味わい、地域の復旧復興の礎的(いしずえてき)立場にありながら、生まれ育った土地を追われるように去った者もいる。富永は今日、久しぶりにその事件が勃(お)きた島へ渡ろうとしていた。

 青信号で発進し、海を右手に見ながら数十分走り、アパートの駐車場に車を置いた。部屋には寄らずに、徒歩で島への連絡船が発着する港に向かった。暑くなりそうだった。乗船券を買い、連絡船に乗ろうとした。だが、すぐ傍に個人運営の小型客船が客待ちしているのを眼にし、その船に乗ることにした。船長は富永の生まれ育った島の人で、顔は知っていたが、親しく話したことはない。今年還暦を迎えた富永の五、六歳年上のはずだった。一度、機会があれば話がしたいと思っていた。潮焼けで真っ黒な顔。寡黙で一見とっつきにくいが、その船長と親しい人によれば、情に厚い典型的な船乗りだ、とのことだった。

 この船長はあの日、果敢にも津波で荒れ狂う海に挑み、たった一人、船共々、生還した猛者でもあった。富永はずっと、その日のことをいつか聴きたいものだと思っていた。

 満潮で船の舷が岸壁より高く、乗降は手造りのような三段タラップで行われていた。乗船すると、普通の連絡船とは違い、一旦、船長のいる操舵室横の狭い通路を通り、そこから下方にある客席に降りる。まだ出港までは十五分ほどあったが、乗船客は四人いるだけだった。操舵室へのドアは開放されていた。腰を屈めないと頭をぶつけるような出入り口を通ると、無精髭の船長が無愛想な顔を向けてくる。手前の小さな棚に笊(ざる)が置いてあり、その中に運賃を入れる。

「里帰りか」

 その一言に愕いた。富永はこれまで船長に声をかけられたことはない。

「ええ。以前の騒動のことで、確かめたいことがあって――」

「ああ、あれか……」

 船長は含みを持った一言を口にした。富永が見つめると、湾内のほうに視線を逃した。何か思うところがあるのだろう。そう察し、富永は敢えてその話題は打ち切ることにした。思いがけず船長のほうから声をかけてくれた。そのように、気が向けば、あの事件に対する思いの丈をぶつけてくるような気がしないでもない。何しろ、あの騒動は島を離れている者の眼には滑稽でしかないが、島内では未だに燻りつづけているのだから。

 大津波は東西から低地を駆け昇り、島を二分したが、あの騒動はそれまではどんな問題でもなかなか纏まることがなかった人々が、利害の一致で珍しく結集し、たった一人の男を潰し、島外に追放した。

 島を出た彼は富永を含む数人の男女と高校時代に群れていたころからの仲間で、還暦を迎えてもその関係は揺らぐことはなかった。だが、島を何十年も留守にしていた富永には、彼が糾弾された問題の本質を見抜く材料が圧倒的に足りなかった。新聞やテレビでも一時騒いでいたが、それらの報道を見ても現実感に乏しく、富永は対岸の火事のような眼で見ているだけだった。

 核心に気づいたときは遅かった。彼はすでに島を出ることに決め、富永のアパートに顔を出したのは、内陸へと旅立つ前夜だった。あれから半年が経つ。何もしないのでは四十年以上仲間を続けた男への仁義に欠ける。気持ちはヤクザ映画の主人公そのものだった。

 島民を扇動し、彼を追い出した者たちにせめて一矢報いたい。富永は他人が聴けば嘲笑うような理由で、その日、少しでもプラスになる情報を求めて、島に渡ろうとしていた。

「それはそうと、あの大津波の直後からの活躍、お疲れ様でした」

 船長は白い歯を見せて笑った。声をかけられ、笑顔を向けられた。顔は相変わらず厳めしいが、だいぶ機嫌がいいらしい。

「おめえ様だけだ。言葉さ出してそう語(言)ってくれるのは――」

 二年前、大津波に挑み、船を沖に出して難を逃れた船長は、大手の会社連絡船のすべてが流失したことを知り、船をフル稼働させ、半年以上、無料で町と島を行き来しなければならない人々の足に徹した。

「ほん(さて)で、そろそろ、出っか」

 客は増えず、富永を含め、五人だけだった。十数メートル離れた岸壁に横付けされている連絡船は、ほぼ満席のようだった。

「今日は暇だなや」

 船で客を運ぶのが船長の仕事なので、うなずいていいものかどうか迷い、無言のまま船長の横顔を見つめた。こうして船長と言葉を交わすことなど、滅多にない。おそらく、この先もそうはない。連絡船に乗るのをやめ船長の船に乗ろうとしたのも何かの縁。神も仏も信じたことはないが、この奇跡のような船長との出会いは、神仏が与えてくれたような気がして、およそ似つかわしくないそう思う自分に、危うく赤面しそうになる。

「この船、島で暮らしていたころは、よく利用してました」

「ほん(そう)だったなや。当時は島の奴らぁ、町で酒喰らってはぁ、あっつ(あっち)の定期船にはぁ乗り遅れて、臨時船をしていたこの船で、俺(おら)ぁ、だいぶ稼がせてもらったな」

 定期船は十九時までだった。島内は海の幸の養殖や土木関連の仕事しかなく、若いころから鮪船に乗っている男たち以外は、男女を問わず町に職を求めている。そんな人々は出会いや新たな話題を求めて、仕事帰りに町の酒場に立ち寄る。定期船の運航終了後は、そんな人々の足代わりとして、船長のように臨時船を生業(なりわい)にしていた人たちが数人いた。

「今は俺ぁだけになった。他(ほか)の奴らのぶんも、この仕事ば続けんと、海に落づだ(ちた)奴らに嗤われる」

 エンジンの音が大きくなり、船は岸壁を離れた。舳先(へさき)を島に向けて、ゆっくりと前進し始める。小型だが、船長の船は高速艇だった。定期連絡船は島まで二十五分程かかるが、この船が最速で走ると十分程で島の港に着く。だが、船長は決して速度をあげようとはしなかった。

「俺ぁだけ生き延びで(て)す(し)まった。まだ海から上がらん人たちが何百人もいる。この二年で数十体、俺ぁ海からこの船に引き揚げた。捜し続けることが生き延びだ(た)船乗りに科せられた義務っつうものだ。ほんだ(だから)がら、あれ以来、俺ぁはゆっくり走り、何とか一体でも見つけて、島へ連れ帰ろうとしてんだ。そんなだから、客も少ねえ。この船に乗ってくれる人は、この俺ぁの気持ちば判っている人だけだがら、何も言わんで付き合ってくれる」

 船長は操舵室の天井のハッチを開けてオープンにし、そこから顔を出して睨みつけるように海を見つめながら、船を操っていた。

「俺、大津波のとき、あの魚市場の屋上で一晩明かしたんです」

 富永は三時方向を指差した。船長の船は魚市場前の海を島に向かっていた。

「ほう……。おめえ様も命拾いしたクチだな。屋上たって(とはいっても)あそこは三階ぐらいの高さしかねえべ。市場がもし普通の鉄筋の建物だったなら、おめえ様はあの津波に攫われていたな」

 さすがに船長はお見通しだった。市場の屋上は船長の言うとおり、一般建築なら三階ほどの高さしかない。大津波は五階建ての病院や市営アパートを呑み込んでいた。船長が言う普通の建物だったなら云々とは、市場の構造上の特異性を指していた。背は低いが、一階は水揚げ用のスペースなので全面がらんどうだった。津波は遮るものが何もない魚市場の一階を轟音とともにすり抜け、濁流と化して町を根こそぎ呑み込んだ。

「俺ぁはあの凄い地震に襲われた瞬間、大津波が来ると思った。この船を繋いでいる島の港に向かおうとした。ほんだ(だけど)けんと、あのとんでもねえ揺れだ。とてもじゃねえが、車を運転するどころか、歩くのも難しがった。動けたのは何(いくら)ぼか地震の揺れが落ち着いてからだった。津波は普通すぐに来る。軽トラックで走った。地べたはまだ大きく揺れていた」

 富永は海を見つめたままの船長の横顔を凝視し、うなずいた。

「船さ飛び乗って、すぐにはぁ、沖さ向けた。前を向くと、津波はすぐそこまで来ていた」

「他の人も船を――」

「ああ、ほんだ(そうだ)。俺ぁが一番早く出たが、みんなも同じように続いた。ほんだ(だけど)けんと、その数分の時間差がこの俺ぁば救い、二人の漁師の命ば奪った」

 その光景は容易に想像出来た。津波の襲来は魚市場の屋上からも確認出来た。最初は大量の洗剤を海に流したように、遠くの海面が泡立っていた。それが一気に膨張し、立ち上がった海面がそのまま湾内に向かってさらに大きくなって押し寄せて来た。そのように富永が記憶にあるままを言うと、

「ああ。たしかにほん(そう)だったなや。ほんだ(だけど)が、あの程度ならば乗り切れる。問題はその直後だった」

 船長の口調はゆったりとしていて、離れて見れば、現役をリタイアし、時にたゆたう、漁師の余生のように見える。だが、傍にいるとよく判る。船長の眼は瞬きさえ忘れたように、海面を睨んだままだった。

「ほら、あそこさ旗が浮いてんべ(るだろう)」

 船長が顎をしゃくったほうに視線を移す。復旧したばかりの牡蠣やホヤの養殖筏が島の先端辺りまでのびていた。距離にして南の最先端まで三キロぐらいあるだろうか。その沖には大小の島々が陽を浴びて焦げたように、黒く浮かんでいた。筏の先端に立てられている赤い旗は、距離があるにも係わらず、碧い海にすくっと立ち、くっきりと見えていた。

「泡を乗り切った直後のことだった。今度は見たこともないような津波のうねりがあの旗のところまで迫っていた」

「それに向かって行ったのですね」

「行くしかねえっちゃ(ないだろう)。逃げたら津波に追いつかれ、必ず殺られる。ほんだ(だから)がら、あの津波を乗り切るしかなかった」

 何度もうなずくしかなかった。同じ命を失いそうな危機の中にいても、陸地と海とでは根本的に違う。津波には対しては昔から「てんで(人に構わず)んこ」に逃げろ、と言い伝えられているが、それはむろん、陸地で被災した折の教訓であり、海ですぐ眼の前まで大津波が押し寄せているのであればそうはいかない。

唯、津波襲来を予期した瞬間、港に走らず船をあきらめて高台に逃げるという選択肢はある。船長は津波を船で乗り越えるほうを選んだ。長年海という自然と付き合い培った勘だったのだろう。普通、津波地震後すぐに来る。だが、あの地震から津波の第一波が来るまでは数十分あった。珍しい現象だった。しかし、船長はその数十分、地震の激しい揺れに動くことは出来なかった。もうすぐ津波が来る。いや、すでに到達している。それほどのタイムロスだった。それでも船長は、船を護ろうと、沖へ出る決心をした。無謀すぎる決断だった。港に着き、船長はまだ津波に襲われていないことに愕いていた。

 だが、それは沖へ逃げられる、ということでもあった。と同時に、津波が途方もないエネルギーをため込むに充分な時間でもあった。そして、その時間はまだ津波を目視出来ない時間帯ではあっても、海中をベテラン漁師である船長の想定外に変化させていたことは、想像に難くない。時化の海も怖いが、潜ってみれば海底は海面ほどには荒れていない。津波は違う。海面から海底まで同じように狂うのが津波の特異性だった。時化では動かない養殖筏も、ほんの五十センチ足らずの津波で破壊的な被害を蒙る。

「全速力ではぁ沖さ向った。その俺ぁの船の後ば、島の仲間たちの船が数隻追っかけて来ていた」

 名前を聴くと、全員知っている島の大先輩だった。

「この船のお陰だ。津波の高さは数十メートルあったもんなや。普通、大波には直角に船ば向けるんだけん(だが)と、あのときそんなことをしてたらはぁ、今、俺ぁはこうしておめえ様と話などしていねえ」

「船首をどっちかに振ったのですね」

 船長は意外そうな顔で富永に振り返る。

「ああ、ほんだ(そうだ)。右に振れば津波に持っていかれた場合、内地の岩場にぶっつけられる。左さ船首を振った。左ならば、たとえ津波に巻き込まれて海中さ呑み込まれても島さ戻れる。咄嗟にそう思ったのっさ」

津波に対し、左斜めに船で駆け上がろうとしたのですね」

「ああ、ほんだ(そうだ)なや。ほんだ(だけど)けんと、それはあった(とても)げ危険な賭けだ。下手(へた)うてば船の側面さ津波ばもろに受ける。そうなったらもう、駄目だ」

「他の船は、そのとき――」

「奴らもベテランだが(から)らなや。船は波さ直角に。その基本ば体に染み込んでいる。そして、あの場合、俺ぁのとった行動は間違いで、奴らがとった波に船を正対させる、いうセオリーのほうが正しいのっさ」

 船長は煙草に火を点けた。煙が一瞬にして風に蹴散らされる。

「ほんだ(しかし)けんと、助かったのは俺ぁで、奇跡的に第一波のてっぺんに辿り着いてはぁ、振り返ったれば(ところ)、後ろさ続いていた船が津波に喰われてい(姿が)なぐなった(消えた)」

 そう言ったときのため息が耳に突き刺さる。

「みんな、俺の知り合いでもあるけど、津波からはやはり、てんでんこに逃げるってのが昔からの教えですから。海に呑まれた人々もそう思っての直進だったのでしょう」

「ああ、ほん(そう)だなや。あのときもし、後ろの奴らが俺ぁの進路さついて来たところで、助かっていたとは限らねえがらなや。俺ぁは運がよかっただけだべっちゃ。ほんだが、そうは思っても、昨日までは元気すぎるぐらいに莫迦騒ぎしていた爺(じ)ぃ様たちが海ん中さ消えたときのことははぁ、忘れられるものじゃねえ。ほんだから、せめて、こうして生き延びて海を走る俺ぁの前に浮かんで来てほしい、と願っているのっさ――」

 船長が言う海に消えたベテラン漁師たちの遺体も、依然として見つかっていない。

「今は穏やか、ですね」

「ほんだな。俺ぁたちはいつもこの大人しい海に騙されるんだ。ほんだけんと、この海はたまに怖ろしいことばして、のうのう(平然と)しぐしているが、しかし、俺ぁたちはこの海に生かされて今日まで過ごして来た。亡くなった奴らもきっと、そう思っていたんだ。ほんだから、海を怨めないのっさ」

 なるほど、と思う。だが、海は大津波と化し、富永だけではなく、親しくしている人々のこれまでを悉く流し去った。たった一日で何もかもを奪った。島を去った彼も、あの一日がなければ、それが妥協であろうとも、我慢すれば凌げる和を保ち、虚構という不安定さを持続させていたに違いない。

 しかし、あの一日は人々のエゴイズムを瞬時に肥大させ、魔女狩りのように少数の常識人を狩り、島を護ろうと奔走し続けた一人の男を談合の餌食として当然のように抹殺した。

「おめえ様はさっき、島の騒動のことば言ってたなや」

「ええ。島を離れていると何も見えない。でも逆に見えてくることもあるんです」

「これも何かの誼だ。一つだけ教えっから」

「何ですか」

 前方に島の港が見えてくる。

「今、島を牛耳っている奴らは大津波のようなものだ。慾という津波だなや。そこのところばちゃんと頭さ入れておがねえと、叩き潰されるだけだ。当たるならばはぁ、津波には何が何でも直角に、では駄目だということだなや。たまには俺ぁのように常識ば破り、斜めに駆けるのもいい。慾で繋がっている奴らってのは、慾に弱いものだ。つけ入る隙はどこかにあるものだ」

「島は小さいのに、昔から人の繋がりかたは複雑でしたね」

「それにしても、あの大津波め、財産や人の命をこれでもか、というほどに持っていきながら、生き永らえた者たちの慾だけは流すどころか益々強く大っきくした。ほんだけんとなぁ、島を出たおめえ様の仲間。あいつが半年あまり、強欲な奴らの出しゃばりば断ってはぁ、わざ(敢えて)と独裁者となってはぁ、島ば代表して他(ほか)と丁々発止とやり合った。ほんだから、これだけ早く島は形を戻すことが出来たんだべや。これだけは言える。今跋扈(ばっこ)している連中は被災時何一つ行動しなかった。失(な)ぐしたり、失いつつある自分の財産のことしか眼中にね(な)がった。ほんで今、その失(な)ぐしたものを取り戻す手段として、島ば仕切っていて旨味を独占していたように見えていた、おめえ様の仲間を追い出した。この美(う)っつぐしい景色には似合わない者たちが、何(どう)してだが多い島だよ、ここは」

 船は島の岸壁に横付けされた。

津波での体験、とても興味深く聴きました」

「ああ。今日も一人も行方不明者ば見つけてやることが出来なかったなや。残念だ。俺ぁは余生を行方不明者の捜索に捧げるつもりなんだよ」

「あの津波被災した人々は勿論ですが、生き残った人々の余生さえ奪い取りましたね」

「ほんだなや。唯、さっきのおめえ様の意気込みには賛成だけんと、気をつけるんだな」

「――他にも何か……」

「今のこの俺ぁだよ。震災から半年以上。俺ぁは生き残った者の使命だと思い、島民も復興復旧の関係者からも運賃ばとらなかった。むろん、乗船客の中には、船をすべて失った、あの連絡船の幹部も下っ端もいた」

「ええ。船長がずっと、ボランティア活動をしていたことは知ってますよ」

「だが、今の俺の事は知らねべっちゃ(ないだろう)」

「はい。でも、大手が復活し、もう無報酬は解消されて、通常運行になっているのだろうな、と他人事ながらそう思っていました」

「色々、あったもんなや。資金力ではぁ、早々に復旧した大手は、再開してたちまち、俺の船は、定員オーバーだったとか吼え(言って)でなや、俺ぁに圧力ばかけてきた。まぁ、本質的にはおめえ様の仲間が島民から受けた仕打ち同様のことが諸々あったのっさ」

「本当ですか。まさか、そんな――」

「嘘で(じゃない)ねえ。今更、嘘を言ったって仕方ねえべ。いいか、これだけは覚えておいたほうがいい。島はこの船同様小ゃっ(さい)こいが、おっ(怖ろしい)かねえところだよ。自分に都合が悪くなると、慾深い奴らはすぐに団結し大波になり、敵と見なした者ば力で蹴散らそうとする。そうなると人ってのは津波より怖ろしくなるものっさ」

 船長は富永の肩を軽く叩いた。船は島の港に着いた。富永は船長の苦笑を背に受けて船を降り、久しぶりに島の土を踏む。

 

 島の家には寄らず、電話をかけただけだった。九十歳になる義母は周囲が羨むほどに矍鑠とし、いまでも畑に出ては自給自足の生活スタイルを貫いていた。電話の声も言うことも呆れるほどにまともで、「なぁ、頼むから俺より数年は先に死んでくれよ」と言う富永に、「俺ぁは百まで生きるから、祐一郎さんも自分で体に気をつけて、俺ぁより早く死ぬようなことにはならないように」と真摯な口調で応じてくる。

携帯電話を切り、ゆっくりと歩く。大津波までは小さな町のように、民家や観光施設が密集していた島の港周辺は、見事なほどに何も残っていなかった。港から東へ向う。さすがに二年以上も経つと、地を追い尽くしていた瓦礫は綺麗に撤去されていた。歩く道を途中から左に折れて進むと山の頂きへと続いているが、真っ直ぐに行くと十数分で島の東側の大きな浜に突き当たる。

 北から南へと人の姿のように伸びた島の地形の丁度首あたりに位置するその道は、東西に最も狭いところに造られていて、二年前は津波の絶好の通り道となり、多くの人々や民家を呑み込んだ大波が島を二分した。

 疎らではあるが、低地を避けた場所に新しい家が建ちはじめている。唯、道を歩く人の姿は殆どなく、人の手が入らない田圃や畑に生い茂る雑草の青さだけが目立っていた。

 車の往来は頻繁にあるものの、ここでもやはり、復旧工事関連のダンプカーが土煙をあげていた。港のほうに振り返る、船長の船が、今度は町に向けて離岸したところだった。富永は次第に遠くなる船を見つめながら、ついさっきまで操舵室で言葉を交わした船長との数十分を振り返っていた。

 船長は、「おめえ様の仲間も俺ぁも同じ」だと言っていた。仲間である一人の男は、持ち前の気性の激しさを武器に島を何とか一日でも早く元の姿に、と突っ走った。どうにか落ち着きを取り戻したころ、それまで何一つとしてアクションを起こさず彼の動きを傍観していた者たちに、横暴だ、独裁だ、と実績のすべてを否定するような罵詈雑言を浴び、糾弾され続けた。

 理由は簡単だった。島で唯一、世間から認められていた団体を仕切っていた彼が利権を一人占めしていると誤解してのものだった。慾深い者たちの眼は錯覚をそのまま受け入れて、彼の立場に立てば潤いが増すと信じ、下品な妄想を一気に肥大させる。船長も同様の仕打ちを受けた、と言う。小さいが客船としての体裁を整えている船を何とか守り、連絡船のすべてを失った大手の企業が再興するまで、無償で人々や義損物資などを町や島に運んでいた。

 復旧の兆しが見え、大手も資金力で船を掻き集めて再開まで漕ぎつけると、船長のそれまでの尽力を強引に忘れて客を取り戻そうと様々な圧力をかけてくる。

 富永は島で最も広くて大きい砂浜に向かった。大津波はその浜から駆け昇り、島を分断し、数百の命とその地域にあった民家の殆どを呑み込んだ。そしてその浜は、富永が上京するまで仲間たちと共に、毎日のように戯れていた浜でもある。

 むろん、家庭も顧みず、島の復旧に没頭し、挙げ句、一部の権力志向に貪欲な男たちに煽られた島民により、島を事実上追放された富永の仲間の一人もその中にいた。そこは野球をしても余りある広い砂浜だったが、久しぶりに訪れてみれば、一跨ぎで渚に行きつくほどの狭い浜に変貌していた。

 数本しか残っていない、防砂林として生い茂っていた松の木が密生していた場所は広大な空き地となり、そこには津波により破壊された自家用車が堆く積み重ねられていた。富永は浜沿いに伸びる細い道を歩いていた。まだ十代だったころの光景が蘇る。当時にはなかった浜を護るために百メートル程の沖に造られた堤防が、無惨に砕けていた。

(あの堤防が出来たせいで、浜の形状が変わった……)

 富永は陽射しを遮るように眼を細め、先端を失った堤防を見つめた。堤防がなかったあのころは、浜の真ん中から右側のほうが広々としていて、海水浴客の殆どがその広い砂浜で戯れていたが、堤防が造られてからは海流も著しく変化したようで、広かった右側の砂浜が急速に狭まり、逆に漁師が船置き場としていた左側の小石だらけの浜が広々とした砂浜となった。富永は大きくため息をついた。

(あいつは浜を変えたあの堤防だったのだろうか。それとも追い出した奴らのほうが――)

 そう思い、立ち止まると、富永は砂浜に入り、腰を降ろした。渚は波の飛沫が届くほどに間近だった。空耳がざわめきを拾う。高校を卒業し、上京するまでの期間、毎日この浜に屯し、超保守的な島民たちを罵り、斬新で理想的な島を造ろう、とそれぞれが無邪気に息まいていた。そのざわめきが耳に蘇る。

(まさか、あいつは還暦を迎える、今でも――)

 馬鹿馬鹿しいとは思いながら、それを全面的に否定することは出来なかった。その思いが微かにではあるが、未だに富永のどこかにも熾き火のように残っている。その日島に渡ったのも、気持ちのどこかに四十年以上も前の雄叫びの余韻が残っていての行動のような気がしないでもない。

 だが、当時はずっと年長の保守層を蔑んでのものだったが、彼を追い出した者の中には年長者は少なく、大半が歳下だった。そして彼らは、数十年前のあのころにも、当時の大人たちにまるで同年輩同士のように順応し、奇声をあげる富永たちを異端視していた。暑さのせいでもないだろうが、眼を瞑ると、眼の前の砂浜で対峙する、仲間と大勢の島民たちの姿が浮かんでくる。

 時に去勢され、段々と多数に同化し、人々はそれに疑いさえ持たなくなるのが普通だろう。富永の眼には仲間であった彼も例に洩れず、順応し、上手に資産を増やしていたように映っていたが、彼は二年前の大震災を機に、十代のころに語った理想へのスタートを切ったのではないか。ふと思い浮かんだことが、瞬時に確信に変わりつつあった。

 一本気で、若いころは筋の通らない話には瞬間湯沸かし器のように熱くなり、どんなに地位の高い人が相手でも決して怯まなかった。しかし、島外に出ることなく、家業を継ぎ、ずっと島で暮らしていくための手段として割り切ったのか、彼は進んで島内に蔓延る実力者たちが纏う、垢のようなものを自身の内外に擦り付け、島内でのし上がってきた。しかし、それは自らに我慢を強いたもので、決して変節したのではない。機会を探っていた。そして彼は、あの大津波を転機として捉えた。

 陰謀好きな自称の実力者たちはあのとき、ほぼ全員島を留守にしていて、孤立した島内にいて津波直後のその瞬間から立ち塞がった大き過ぎる問題に立ち向かうための指揮をとるのは彼しかいなかった。島は彼を中心にして復旧に向け動き始め、島外からもそれを認められた瞬間、彼はこれまで、台頭しつつある真新しい力を悉く封じ込め、既得権を死守してきた実力者たちこそ、あの大津波により流そうと目論んだ。

 そう思うのは穿った見方だろうか。しかし、今となっては、それもどうでもいいことだった。それ以上に富永を抉ったのは、もし彼が敢えてそうしたとするならば、たった一人で、その無謀とも思われる行動に走った、ということだった。十代のころの仲間たちは島から離れ、今は疎遠になってはいたが、富永にとって彼らは今もって仲間だった。なかなか会えないが、時折舞い込む葉書の最後には、あのころの時間のすべてが宝だった、と記す者が殆どだった。

 それなのに、彼は何故、一人で行動を起こしたのだろう。何故、誘ってくれなかったのだろう。そんなことを思いながら、富永はふと、彼は最後には負け戦になることを知っていたのではないか、そう思い、だから、仲間である俺を誘わなかった、という新たな思いに駆られた。

 そうに違いない。全身が震えた。立ち上がる。歩き始めた。脳裏には再び、体験した大津波の光景が蘇っていた。魚市場の屋上から安全な場所に避難出来たのは翌日の午後だった。

 町全体が瓦礫と、海底から津波に押し上げられたヘドロに覆われ、歩くたびに両脚が太腿あたりまで埋まった。その日島に渡った意味を振り返るまでもなく、二年以上過ぎ去った今も、人々はあの濁流に塗れたままにいる。

 その洗っても消えない腐臭に汚されて、一人の男が島を去った。仲間は宝。かつての仲間たちの顔が蘇る。富永は宝の汚れを拭い、耀きを取り戻させたかった。体が熱くなる。それまで体内の奥底で動きを忘れていた青い血が、鎌首を持ち上げて蠢きはじめたような気がしていた。                     

                                     

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(了)