小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

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だいぶ更新していないのに、毎日十数人はこのブログを覗いてくれる。

ありがたいことだ。

FBにはけっこう書いているが、こっちはつい忘れがちになる。

 

 それにしても、時間の速さには愕かされる。十二月に入ってすでに二日が過ぎ去った。もう少しで正月。

 先月までと何ら変わらないはずなのに、どうも師走は気忙しい。そろそろ、正月用のお飾りも買い揃えなければならない。油断しているとすぐに売り切れになる。

 年賀状も書かなければならない。今はもう、メールや何だとハガキによる賀状は廃れはじめているようだが、昭和生まれとしては、今年世話になった人にはきちんと年賀状を出さなければ、と毎年思う。

 その年賀状も名前は三種類となる。

 まずは「小鳥遊葵」。それに過去に同人などで世話になった人には「十八鳴浜鷗」。

そして、本名。今日は雨だったので、それらを確認をしていた。

 それと手作りの状差し造り。ホーマックなど廻ってみても、今は状差しなんて見当たらないね。やはり、メールなどで済ましてしまうからだろうか。

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 さて、これから少し宛名と本文を書きましょう。

明日になって天気がいいと、じっとしていられなくて出かけてしまうので、思い立った時にしないと、いつまでも終わらないからね。

 そんなこんなで、今日もさっさと時間が過ぎ去ります。

近況。

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 商売に於いての恩師がなくなり、少しでも恩返しになればと思い、人手不足の昨今、頼まれてホテル内にあるレストランを今月から手伝っている。

 むろん、亡くなった師が経営していた関連施設だ。ずっと続けてほしい、とは言われているが、ローテーションに嵌め込んでの手伝いは今月だけで、来月からは土日に限り、出勤することにした。

 この仕事、どんなにキャリアがあっても、はじめての仕事場に行けば一からとなる。それは長い年月をかけてつくり上げたところに入り、その形になれるまで多少の日数を必要とするからだ。

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 しかしそれも、数日で馴れた。もっとも献立の内容を把握すれば、あとは手早さだけを自分に課すだけなので、そんなに悩むこともない。

 唯、きついのは通勤。片道五十キロ弱ある。たまにならいいが、往復での毎日百キロはさすがに応える。三陸道を利用しているが、これからは雪やアイスバーンになることを思うと、それだけで億劫になる。

 

 話は変わるが、今日、帰宅後にネットでニュースを観ていると、加山雄三脳梗塞、と報じていた。かなり高度な検査を定期的に受けているはずなのに、病気とはどんな人にも突然訪れるものらしい。

 検診といえば、社会に出てからこれまで、一度も受けた記憶がない。あ、一度ある。数十年まえに生命保険に入る際、保険屋のお姉さんに引率されて、その保険会社と契約している産婦人科の個人病院で、簡単なチェックを受けたことがある。それだけだ。

 喰うものは美味ければ何んでも大量に胃袋に入れ、毎食腹十分状態だし、塩分や糖分も考えたことがない。酒はそんなには飲まないが、煙草は一日二箱。

 こんなんじゃ、正常であるほうが異常だろうから、わざわざ病気を探しに検診など行こうとは思わないで今日に到る。もし病院に行けば、医者が小躍りするぐらいの病が見つかるのではないだろうか。

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 そんなことを思いながら、今夜ももう少しで出来るはずの夕食を愉しみにしているのだから、どうしようもない。

暇。

最近、暇なのをいいことに、ずっと過去に書いて日の目に当たらなかった原稿の読み直しをしている。

官能物の殆どは活字になっているので、その他の原稿。数だけはヤギに喰わせるほどにある。読み返したり書き直したりしていると、官能物との書き方の違いが如実に判る。

 

 どっちがどうとも言えないけれど、もっとも違うのは男と女の書き方の違いだろうか。一般的な小説は男女の物語にはいくつものパターンがある。手も握らずに終わる純愛? デートを重ねた間柄でも、手を握るぐらいで終わる関係もある。要するに、ハッピーエンドは無論のこと、男女が十組いれば十通りの恋愛模様が繰り広げられる。

官能はちょっと、いや、だいぶ違う。第一、官能物で純愛を成り立たせるのは至難の業だ。知り合った男女を十組描こうとすれば、その十組を必ず合体させなければ官能物にはならない。ストーリーはいくつもあるが、しかし、それにしても合体までいくまでの様々な回り道でしかない。

そう思えば、書き手としては目的が交わる、という一点なぶん、官能物のほうがはるかに難しい。なにもしないうちに別れさせてはいけないし、だから、そこへいくまでの色んなパターンを何とか強引にでも形にしていく。

 一般小説の男女は、何もなく別れた後の男女の機微や葛藤を描くという手もあるけれど、官能は必ずそこへいくまでの男女の機微や葛藤をなるべくや~らしく描かなければならないのだと思う。

 

 それにしても、こんなことを書くのも、「暇」だからだね。

そんなこんなで、明日からは料理人にカムバックし、長い期間ではないだろうけれど、アルバイトに精出そうとしているところです。

田舎暮らし。

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 うちの猫。もう炬燵に入ってます。

 


短期間だろうが、来月11月から、恩人からの要請により、料理人としての仕事に復帰することになった。

ずっとデスクワークばかりだったので、躰がとことん鈍り、立ち仕事をする以上、足腰ぐらいは鍛え直そうと思い、ウォーキングマシーンでトレーニングをし始めた。

30分で距離にして2キロぐらいなものなのに、これがかなりきつい。

ついでにボンレスハム状態にまで弛んだ腹部を少しは絞ろうとは思っているが、それはなかなか難しいようだ。ナイシトールにでも頼ったほうがいいのだろうか。

 

 それにしても、リタイアしてからだいぶ経つのに、こうして声をかけてもらうのだから有難いものだ。まだ仕事の時間とか報酬とか、詳細は決めていないが、そんなのはどうにでもなる。たとえ毎日8時間労働ではあっても、そんなには原稿書きに影響はないだろう。

 最近はそっちは暇だし、実にいいタイミングでの料理人としてのオファ。

ま、べつに無理に働くこともないのだが、声がかかれば動きたくなるのは貧乏性の証なのだろう。

それにしても早いね。もう11月だよ。いまは温かいけれど、来月半ばには冬タイヤにしなければいけない。こんな繰り返しでまた一つ、歳を重ね着していくんだね。

台風。

今、午後三時。

台風はまだ、八丈島あたりらしいが、三陸のこの地にも影響が出て、少しずつ、風が強まってきている。昨夜夜半から雨も降りどおしで、鬱陶しいこと甚だしい。

 ここいらにもっとも近づくのは明日だろうか。築五十数年の木造あばら家住宅なので、風に堪えられるかどうか心許ないが、避難施設となっている公民館よりは高台にある家のほうが安全なような気がするし、猫もいるので家に這いつくばって、台風が通り抜けるのを待つことにした。

 

 今、書斎にあがり、うねりと岩に当たって砕けた波飛沫が舞い上がる海を見ながら、さて、こんな日はどうしたものか、と思い、あ、そうだ。原稿でも読み直すか、と思い立ち、一応完成している一般小説の原稿を眼の前に置いて、ここへの書き込みをしている。

 

 台風がこのあたりまで影響を及ぼすのは何十年ぶりだろう、幼いころはけっこうな数が来ていたような覚えがあるが、最近はずっとなかったような気がする。

 それにしても、台風、地震津波、とどこに棲んでても緊張を強いられるね、この国は。

 自然現象だけじゃなく、最近は取り巻く近隣の情勢も落ち着かない。

何かこう、気持ちがパッとはじけるようなのってないのだろうか。最近、いつもそう思う。

災害。被災。

 棲んでいる三陸の島は、津波以外自然災害の少ないところで、

台風の影響もまったくといっていいほどにないが、ニュースでその台風により被災された画像を観ては、3.11の大津波のときを思い出し、その大変さを自分のことのように受け止めている。

 

 富津市に旧い友人がいる。千葉を直撃した台風による凄まじい被害の様子を眼にした、心配になり、すぐにメールしたのだが、いまだに返信がないので、心配している。

東日本大震災直後には、気仙沼に棲む私の安否を心配し、やはり、メールなどをたくさんの人がくれたらしいが、しばらくの間、私の携帯は音信不通になっていて、消息がわからなかったらしい。しかし、その後、ネットによる情報から私の無事が確認されて安心してくれた人々もいたようだ。

 今回の場合はどうなのだろう。たとえば富津市の場合、ネット情報として、安否を確認するサイトはあるのだろうか。少し検索してみたけれど、見つけることはできなかった。

 個人情報でもあるし、市役所でも公表はしていないんだろうね。けれど、8年前には手段があったことを思うと、何かがあってもよさそうにも思えるのだけれど。

大掃除。

 


 掃除は滅多にしない。家が古く、成果が見えないからだ。

けれど今日、全体はともかく、各場所だけはすっきりしたいと思い立ち、涼しくもあったので、書斎の掃除に挑戦してみた。

 だが、終わってみてもどこかすっきりしない。それもそのはず。整理整頓は自慢できるほどに下手で、前記したように、建物じたいがあばらや同然なのだから、どこをどう見ても雑然としていて、割の合わない労働をしたものだ、と今は後悔することしきり。

 

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 元来、狭いところが大嫌い。歩けば何かに足をぶつけて飛び上がるし、立てばぶつかりもしないのに、無意識に中腰になって歩いている。

 仕事場もそう。狭くて便利なのは物をとるときだけで、他は狭いと何もする気がなくなる。物を片付けて総じてもすれば多少は広く使えると思っての行動だったのに、こうまで成果が上がらないとさすがにめげる。

 

 話は変わるが、中秋の名月とはよくいったもので、真ん丸の少し大きく見える月がくっきりと浮かんでいた。

 千葉やあちこちで台風の被害が大きく、被災した人々ゆ周辺の光景がテレビに移されるたびに、東日本の大津波のときを思い出し、沈痛な気持ちに包まれるが、一応、毎年のことでもあり、月に数品を供えて手を合わせた。

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 一日でも一時間でも早く、ライフラインが復活してほしいね。

 当時は四十日、風呂に入れなかった。電気が通ったのもだいぶ経ったころだった。水道は一か月以上出なかった。

 千葉の被害を見て、ついあのころを思い出し、束の間、呆然としていた。

 

 写真のユリは、芯が緑色でとても清楚。似つかわしくないけれど、花は好きだ。

もう一枚は掃除したつもりのパソコン周り。真ん中に絵師である星先生の原画。素晴らしいのを頂いた。