小鳥遊葵(たかなしあおい)のブログ

雑多なことを、気ままに書き連ねている「場」です。

一応、脱稿。

三月にある人物の一代記のようなのを本にしたいとオファを受け、

本人に取材したものの、エピソードの凄まじい人で、そのまま記せば何千枚にもなりそうで、棄てるものの多さに難儀したが、数日前に一応仕上がり、依頼主に送った。

不満なら書き直すつもりではあるが、実在の人物だけにかなり大変な作業だった。

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 事業の数とその成功を書くだけなら、時系列で並べればいいので、それだけならいま現役の社員が書けば事足りるが、私にお鉢が回って来た以上、多少の物語が必要なのだろうと推測しての作業だった。

 

 地元の人なので、3・11の大津波は避けて通れないが、しかし、さらっと触れるだけにした。自宅の屋上から自衛隊のヘリで救出され、九死に一生を得た人でもあり、この人の一生は常に津波とともにあった、と言っても過言ではない。

 私もそうで、あの東日本大震災は海のど真ん中にあるような魚市場の二階駐車場で一晩過ごしたので津波に対しては思い入れが人一倍あるが、しかし、3ページほどにとどめた。

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 そして第一稿が仕上がったと一息つけば、九州や四国、それに京都など集中豪雨を受けての特別警戒宣言と、テレビに映し出されるのを観て、体験しているだけに他人事とは思えなかった。

 

 話は違うが、芥川賞の候補作にあげられた「美しい顔」かな?

何か色んな物議を醸しだしているようだ。ネットで探して読んでみた。

凄い書き手だね。いま言えるのはその一言。後でじっくりと感想を書こうと思う。

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騒動。

三陸の大島という、一応、観光地に棲んでいるが、この島。今、熊騒動が勃発して、毎日、警戒アナウンスがある。

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島とはいっても内陸から近いところでは数百メートルぐらいなので、利尻島にさえ泳いで渡っているのだから、熊にとっては鼻歌気分で泳いで来るだろう。

唯、これまでにはカモシカや日本鹿は渡来しても、熊だけは話題にもあがらなかった。

それが五月に入ってから急に持ち上がった熊問題。

一昨日は島内のほぼ中央に位置する介護施設の庭を悠然と歩き去る熊が目撃されている。ちなみにそこは小中学校から数百メートルの距離。島内でもっと人口密度の高い地域でもある。

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逆に私の家は島の山中にあるのだが、一度も熊など眼にしたことはない。

そんなこんなでここしばらくは熊の話題で持ち切りの島内なのである。

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サッカーワールドカップ。

あれでも勝ちは勝ちで価値があることなのだろう。

けれど、私は性格的に、あんなゲームは大嫌いだ。

あり得ないことだが、私が監督なら、玉砕しても最後まで攻めさせる。

ポーランドとの試合。先発メンバーを大幅に入れ替えてきたが、セネガル、コロンビア戦での先発メンバーと比べると、攻めも守りも劣るような気がしてならない。

同点でも決勝シリーズに進めるとの思いがあってのことだろうが、勝てる試合をみすみす逃し、私に言わせれば姑息な駆け引きで、敗けた試合にも係わらず、決勝トーナメント出場の権利を得た。

それにしても、コロンビア・セネガル戦で、もし、セネガルが同点に追いついたならーーそれを考えると背筋が寒くなる。

あの凄まじいブーイング。とてもよくわかる。観客はあんなパス回しを観に行っているのではないからね。

それにしても、イエローカードの数での進出なんて。これは私の性格なのだから仕方がないが、苛立ってどうしようもなかった。

ワールドカップなのだ。もっともっと、エキサイティングな試合を観て昂奮したい。

愕いた。でも、嬉しい。

某所で、朝比奈海で書いていた拙著が紹介され、レビューが載っていることにびっくりした。これはもう、著者にとってはとても嬉しいことである。

それによれば、2010年とある。というと8年前か。この名義では二冊。最初のがたしか「狂夜」だったから、もう8年以上、フランスで書いていることになる。

速いなぁ。それ以前はキルタイムで書き、祥伝社のwebで短編など書いていた。

振り返るってことは年寄りだからだろうが、それでも振り返れば、もうずっと前、

30年近く前になるのかな? 平和出版というところが出していた「新風小説」が催した、「官能小説大賞」なるコンテストで、大賞をとったことがきっかけだった。

私が第2回で、第一回が北原双治さんで、第三回が記憶違いでなければ、北山悦史さんだったような気がする。この賞、第三回で終了し、その後、出版社じたいなくなってしまったけれど。

だが、受賞後は新風小説で短編を十作以上書かせてもらったが、心境の変化があり自ら書かなくなった。その後、祥伝社やキルタイムで書くまでにはかなりのブランクがあった。

 祥伝社でのきっかけは、当時、官能のコンテストがあり、最終に残ったことでの素晴らしい編集者との出会いだった。キルタイムは募集もしていないのに「投稿」。あ、募集してたかな?-- 1か月ほど経ってから連絡があり、いきなりの書下ろしだった。

 コンテストではあまり認められはしなかったが、一度、週間実話の「シニア官能小説」募集で次席に入ったことがある。

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 そんなこんなでフランスでは明日発売ので15冊(アンソロジーは含まず)?

平均すると、年2冊ちょっと。少ないよなぁ。しかし、本数が少ないってのは、これはもう、力不足でしかない。年齢的にも総数で30冊を目標にしている。

 オファ次第ではあるけれど。

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まだ未定だが……。

 八月末に集まりがあるとのメールをもらい、

出席しようかな、と思っている。

 年寄りだし、見栄えもよくないので、なるべく人前には出たいとは思わず、

これまではどんな誘いにも行かなかったのだが、都落ちしてからもう三十年も経つと、都会の雑踏に郷愁のようなのを感じて、行ってみるかな、という心境になりつつある。

 その場に集う人々とは、もし行けば全員が初対面。そう思うと、やはり、よそうかな、とも思ったりしている。

 まだ二ヶ月もある。その間、心境はどのように変化するのだろう。

あ、この十年を振り返れば、肝心の編集者とも一度も会ったことがない。これって、遠くにいる者の利点なのか、それともあきらかなデメリットなのだろうか。

 よくネットで、編集者との打ち合わせ云々なる書き込みを見るにつけ、(ああ、俺はしたことないなぁ)と羨望の眼差しになる。

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霧に霞む海。