電子書籍。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01BH37I2G?ie=UTF8&redirect=true
出版社経由ではなく、自分で出したものだけれど、売れない。
ま、紙本も大したことないんだろうが、webはとくに私のような無名作家のものは売れないねぇ。
なんか売るコツっての、あるんだろうか。
やはり、個人営業って難しいのかな。
でもネットを覗くと、かなり売れている人もいるようだし、所詮は内容次第ってことなのだろうね。
ゴールデンウィークはもう一つの仕事である、店の営業で終わりそうだ。
五月末までのを抱えているのに、さっぱり進まない。毎度のことだが、困ったものだ。自己嫌悪に陥る。
三陸の島に住んでいるのだが、先月、やっと橋が設置された。とはいっても開通は予定では二年後、いまのところ絵に描いた餅同然て、眺めているだけだ。
全長にして230㍍ぐらいの短い橋。車で通過すれば1分か2分で渡り切るが、しかし、この橋、計画から50年たっての架橋。我々にとっては、この短さでも、過去半世紀にも及ぶ距離がある、途方もなく長い橋。
何とか前倒しで開通させてほしいものだ。
もし、叶うなら。
ある人から指摘を受けたことではあるが、しかし、これは私がずっと以前から構想していたことと一致する。
それはいまの逆バージョン。
ヒロインは一人に限定し、これまで書いてきた複数ヒロインを男に置き換えて書いてみたい。
六章ぐらいにして視点を半々に。
形式は「夜這い」がいいかな?
しかし、ヒロインは(この人なら)と感じた男しか受け入れない。
若い男、中年男、初老の男。それぞれの思惑を胸にして行動を起こすのだが、しかし、それにはヒロインに受け入れてもらわなければならない。
暴力的なことは抜きにして、ヒロイン主導でありながら、けれどその魅惑的なヒロインは、最初こそ上から目線ながらも、途中からは奉仕型の熟女へと変貌する。
そんなじっくり、ねっとりとした交わりを堪能するような一人ヒロインでお話を構築してみたい。
それはおそらく、書き手である私の嗜好が望んでいることかもしれないけれど。
これもいつも世話になっている読み手から、島を舞台にした「しきたり」「掟」を題材にしたものが七作目だとの指摘を受けた。。
「またかよ」という声が聴こえてきそうだ。申し訳ないと思う。
唯、一作でもいい。この地方エロ小説で、5の評価を得るモノを書きたいものだ。
それがなかなか難しい。
あれから六年。
早いのか遅いのか、あの震災から六年が過ぎ去った。午後二時四十六分、海に向かって黙祷しながら、脳裏に当時の光景を呼び戻していた。
今なお、鮮明に蘇る。町のあちこちから火が燃え広がり、鹿折から大島までの海上が炎の帯となった。行き場を失い、フェリーが湾内にできた渦潮に翻弄され、何艘もの漁船がぶつかり合い、キシキシと音をたてながら真っ黒に燃え、あるいは沖や湾の奥へと流され、町の道路のすべてが川となり、濁流があらゆるところを飲み込んでいった。
叫びが聞こえ、悲鳴が空気を揺らし、人々はみな、無情の上に立ち尽くしていた。私を含め、人々は明日からの羅針盤を悉く失った。達人が描いた地獄絵図よりも凄まじい光景が、前後左右どこを観ても延々と連なっていた。
あれから六年。国は着実に復旧復興が成し遂げられつつあるという。
そうかも知れない。しかし、それと同時に、人々は確実に六つ時間を重ね着し、動きもままならなくなりつつある。当事者である私たちはよもや忘れはしないだろうが、全国的にみれば、あのとてつもない三月十一日は風化への六年になっているとのことだ。それでも毎年、その日が来ればテレビが特集を組み、被災地を取り上げている。圧倒的に南三陸や岩手沿岸の画が多く、気仙沼地域はすくないが、膳場さんは今年も自ら当地に赴き、我々の地域の「今」を伝えてくれていた。ありがたいことだ。
今日が過ぎれば明日がくる。その明日もどんな明日になるのかわからない。けれど、今を生きる私たちは、あの六年前のあの瞬間まで、元気に過ごしながら理不尽にも命を奪われた多くの人々の犠牲の上に立ち、今日をいまを過ごしていることを忘れないで、必ずくる「明日」と対峙しながら歩き続けるしかないように思う。
それにしても、いつ見ても思うのだが、膳場さん、知的でとても綺麗だよなぁ。
新作。
表紙画が出来上がったようだ。
昨日まではなかったが、今日、アマゾンのページに表紙の画があった。
いつものことだが、少しでも多く売れてくれれば、と思う。
次作はまだフォーマットで22ページ。ま、5月までには仕上がるだろう。
今度のはプロットなし。メモ程度。
担当はテーマさえおさえれば、ご自由にとのこと。
一応、ストーリーは頭の中にあるのだが、一冊分を書くとなると、どこかで違うストーリーになるのは毎度のこと。
いい加減この上ないが、それでも書かせてくれるのだからありがたいことだ。
たとえ設計図通りにはいかなくても、それはそれで、充実させなければ自由に書かせてくれる人に申し訳がなくなる。
少しずつではあるが、じっくりと書こうと、店の休憩時間に昨日まで書き進めたものを読み返している。
権威?
昨日の大層な記者会見。
専門分野の「権威」のお墨付き、と繰り返していたのを観て、
(うわぁ、この人、こんなにも権威好きだったのか)とかなり驚いた。
自分には無関係なのに、観ていて赤面しそうだった。
それにしても昨日の会見。お粗末この上ないような内容だった。学生のころに芥川賞をとり、華々しく世に出、ずっとちやほやされてきたのだろうが、この期に及んで、自分の非を認めようとしないあの姿勢は、武士(もののふ)でも侍でもない、単なる虚栄心の塊に過ぎない。
「逃げる」ってことが最も嫌いな人間なら、都の最高権力者だったことは紛れもなかったのだから、臣下の間違いはすべて自ら泥をかぶる器量こそ、最も必要だったはず。昨日の会見ではそんなものは微塵もなかった。
先にかつては蛇蝎のごとく嫌っていたような昭和の太閤を褒めちぎる本を書き一儲けしたばかりだが、角さんとの違いはそのあたりだろう。
現都知事に対し、べらぼうなランニングコスト云々をかけていると非難し、世間に現都知事こそ訴えられて然るべき、と息巻き、盛んに訴訟するよう繰り返していたが、それとこれとは別問題。ランニングコスト云々以上に、べらぼうな大金を支払い、とてつもない瑕疵を内蔵した広大な土地を買ったことがいま騒がれていることをまったく理解していないようだ。
必死にあのように論点を変えようとする涙ぐましい努力。少なくとも作家のすることじゃないだろう。
作家としてはどうなのか知らないが、政治家としては最悪のケース。元都知事はまるで、現都知事との政治家としての「差」をあからさまにするためにあの記者会見を開いたように思え、他人事ながらとても情けない。
それにしても、あの会見の構成。そして内容。どう考えても大「作家」? のそれではない。
だが、唯一ではあるが功績もある。
元都知事はこの会見に於いて、「人はこうしてはいけない」という全国民に対する反面教師的役割を、充分すぎるほどに果たした。
新作。
三月に刊行されるが、来週あたりからその次のを書き始める。
一応、プロットは求められるが、私の場合、いくらプロットを書いたところで、一度としてその通りに書き進めたことがないので、無いに等しい。
基本的にプロットはつくらない。担当もあきらめたようで、どうせプロット通りに仕上がってこないと思っているらしく、これまでそれに対してのダメ出しはないことが救い。
決めるのはテーマだけ。一応それは頭にあるので、来週から少しずつ書こうと思う。
何しろ、もう一つ仕事があるので、従業員の給料も払わなければならないのでそっちもおろそかにはできない。
書くってのは頭脳労働ではなく肉体労働。その肉体労働を二つ抱えているので、体力的にはかなりきついが、老骨に鞭打ち、何とか期日前には仕上げるつもり。
書くことだけに限定すれば、オファーさえあれば一か月に一本ぐらいはいけそうだが、そんなに依頼があるわけもないので、現状を何とか維持できるよう、せっせと升目を埋めるとしよう。
あっ、税務署へ申告にも行かなきゃならない。