「こんな官能小説が読みたかった」。
「綜合図書」特選小説が選んだ雑誌を取り寄せてみた。
選ばれた作家は全員著名な人ばかりで、読後の感想は、(ああ、早くこのように選ばれる作品を書きたいな」だった。
官能小説は書けば書くほどに難しくなってくる。この先、さらにそうなっていくのだろう。
最後までページを捲っていて、うれしい場面もあった。
DSKさんが拙著を三冊取り上げてくれたことだ。
まだまだ無名で売れない作家としては、どのような形でも取り上げていただくことは大歓迎。これからもご指導をしてもらえれば、と思わずにはいられない。
なんやかんやで今年ももう少しで終わる。新年とはいっても、所詮は時間が流れるだけで何ら変わらない。
けれど、「よし、来年こそはもっと」と毎年この時期、同じようなことを念じ、同じように年末に突入し、新年を迎える。
さてこんなことを書きながら、いまから店に出て、忘年会を予約してくれたお客さんの料理をつくる。
初体験。
締め切り日が決められていて、その日に何とか原稿を仕上げた。
こんなことは初体験。これまではだいぶ余裕をもって書き終えていた。
書き始めて三か月。これは時間的にはかなりの余裕。
けれど、二か月間は店の仕事や葬式が二つ連続であったりと、何やかやと忙しなく、フォーマットで十枚ぐらいしか進んでいなかった。
そんなこんなで、正味一か月程度の時間しかなかった。しかも店は毎日のことなので、書く時間は一日に2時間あればいいほう。
それでも何とか仕上げたが、まだ疲れが抜けない。
やく470枚(400時詰め原稿用紙換算)。それを1か月で書くとなると、一日でおよそ15枚。けっこうな肉体労働でした。
大したものを書いているわけではないが、引き受けた以上、それがいつ刊行されようと、締め切り日までには仕上げる。それだけはいつも肝に銘じている。
毎度のことだが、いまはただ、ぼぉーっとし、椅子の背に体をあずけたまま手足を投げ出している。
北日本文学賞。
http://webun.jp/pub/hensyu/bungaku/51_2017/result1.html
昨日、一次通過作品と筆名が発表された。
昨年は応募数が1,000を割り少なかったが、今年は1,400を超えたようだ。
毎年この時期になるとYahoo!トピで盛り上がるのだが、今年は騒がず、楽しんでいる。
まだ一次ではあるが、知人の名前が5、6人ある。
いずれも一歩手前まで残る書き手なので、大いに期待しつつ、私はといえば、締め切りが明日に迫った原稿の読み直しに血眼になっている。
日にちがあったのだから、毎日予定通りに書き進めれば何の苦労もないのに、(あ、まだまだ時間の余裕がある)とのんきに構え、いつも締め切り1か月前ごろから慌て始める、というパターン。
この課題。どうやらあと1か月後の新年を迎えても続きそうな予感。
我ながら困ったやつなのである。
サッカー。
何だよ、やれば出来るじゃないか。
何故これまであんなふうに戦わなかったのか。それが不思議。
昨日のサウジ戦のような試合運びなら、全勝も可能で、こんなに切羽詰まることもなかったろうに。
思うに、やはり、世代交代なのかな。
清武を軸にした若い布陣。しっかりと活き活きと機能していた。
私は素人ではあるが、本田は評価していなかった。ずっと、彼が若いころから、動きが重々しいような気がしてならなかった。ツボにはまると素晴らしいが、俺にボールを集めろ的な動きで、単に傲慢にしか思えなかったからだ。
清武はjリーグでプレーしていたときから好きだったが、いまでは完全に香川を超えたような気がする。彼の動きに連動したフォワードの躍動感。
それに加えて、ベテランである長谷部と長友はよかった。懸命に若い才能をアシストしていた。
固定はしなくてもいいが、昨日のメンバーはよかった。ベテラン勢はジョーカーでいいんじゃないかな。
ずっと観ていて、そんなことを思わせる、久しぶりにテレビ前の観客として、リラックスして楽しめた一戦だった。
大統領選挙。
負けたヒラリーも彼女を応援したオバマも、一見潔く、トランプが大統領に選ばれたのだから、彼を支援していこう、と大人の対応をしていたが、民衆は違うようだ。
トランプを嫌う人々は選挙から一夜明けた今日、激しくこの選挙結果に抗議のデモをしていた。投票数はヒラリーのほうが20万票多かったというのだから、応援した人々のデモはわからないでもない。
しかしも、そんなこととは別に、このデモ、私はうらやましく見ていた。
たった1日でこんな行動が起こせる。それは人々が政治を真摯に考えている証左だろうと思うからだ。
日本はこんなふうにはならない。とくに田舎は、あの人は顔が優しそうだから、あるいは「あの人に頼まれたから」投票する。そんな人々が殆どだ。
むろん、自分が気に入らない候補者が落選したからといって、抗議をしようなどという発想もない。
これはある意味、政治家--立候補者にとってはとても楽な国民性だろう。
それは政治家を選ぶときだけに限らない。私自身田舎者だが、ド田舎であるここいらでは医者を選ぶときーーというか、いい先生悪い先生を、腕では選ばない。
「あの病院の先生はやさしいからとてもいい先生」
「あの病院の先生はおっかないから嫌だ」
こんな会話がまかり通っている。
私に言わせれば、多少おっかなかろうと腕がよく早く治してくれる先生こそがいい先生だと思うのだが、とくに爺ちゃん婆ちゃんたちはどうも見かけや口調のやさしさ、耳障りのいい話をする医師を名医と認知しているようなのだ。
話は大統領選挙に戻るが、テレビを観ていると、ヒラリーの落選に涙する人々がけっこういた。
それは自分の一票に思いを込めた人々だけが流す涙なのだろう。涙を浮かべないまでも、支持者たちはみんな真剣な目をしている。それがとても印象的だった。
我が国の有権者は、自分の一票などなんの役にもたたないと思い、投票することに意義を見い出さず仕方がないとあきらめる。向こうの人々は自分の一票で何とか政治を動かそうとしている。そんな気がしてならないこの数日間だった。
それにしても、ヒラリーは我が国与党の組織を主体とした選挙戦をし、一見ちゃらんぽらんに見えるトランプは徹底的にどぶ板選挙を繰り返してきたらしい。
かつて田中角栄が言っていたようだ。選挙区を回った回数時間が票を左右すると。
そうしてみると、トランプは勝つべくして勝ったのかも知れない。トランプの傲慢さが日々非難されていたが、しかし彼は隈なく接戦地域と評されていた地域を回ったようだ。ヒラリーはそれをあまりしなかった。大票田だけを重視した。傲慢は彼女のほう。その差ではなかったろうか。
それにしても今回のアメリカの両候補。
我が国でいうならば、自公民の組織票の上に乗っかって負けた都知事選の候補者のようなのがヒラリーで、小泉純一郎や小池ゆり子さん同様の戦い方をしたのがトランプ。
そう思うのは私だけだろうか。
こんなのが出ていたけれど、よくわかるよね。どこで発表されているんだろう。
12月発売予定 (フランス)
天崎僚介『義母とママの友達(仮)』
御堂乱『敗戦国の女【全国民奴隷】(仮)』
神瀬知巳『僕の新居 嫁の母と嫁の妹(仮)』
天海佑人『夫の悪魔連れ子に調教されて(仮)』
宗像倫『悪魔アパート(仮)』
蜜蟲『未亡人狩りの旅(仮)』